ちゃちゃが来た頃

誰もがネコを飼うということは、偶然の境遇の連続なのかも知れません。

 

  "ちゃちゃ"が、ぼくと出会ったのは、27才の頃でした。
子どものいないぼくたちに、うちの両親が差し向けた関係回復をねらった優れた"最終兵器"だったとも云えます。
"ちゃちゃ"は、ぼくの故郷にある恵まれた漁師宅で生まれた、当時、まだ生後3ヶ月の仔ネコでした。
他の純白色な兄妹たちと異なり、最後までもらわれ手のなかった茶色の子でした。


 ぼくは、23才頃から、隣市での街づくり仲間の知人からいただいて飼っていたネコの"にやお"がヤキモチを焼いて出て行ったら困るから、新しいネコを迎えるのはイヤなんだと、
最後まで、ぼくは、両親と、連れに、新しいネコを飼うことに反対意見を示していました。
「"にやお"が出て行ったら、どうするのさー!」
ぼくはもっと若い頃から、偶然にも、雑種のキジトラ色のネコと暮らしていたのですから。
新しいネコを迎え入れると、先住のネコは旅にでてしまうと、忘れましたが、いつか誰かから聞いていました。

 

それでも真白い洋猫のチンチラを過去に愛して飼いつづけ、最期まで看取ったという連れのことを思うと、ぼくだけが"にやお"といるのも平等ではありません。さらに、その一週間前に下見に来たときの純白色の"ちゃちゃ"の他の兄妹の一匹に対して、連れは一目惚れを内心していたようでした。
「ほら、○○ちゃん(連れの名前)も、気に入ってるみたいだよ」と、母まで云います。連れは、ただ笑っていました。
連れは、ぼくと出会う前に、愛猫を失っていた境遇だったのですから。


 さすがに察して折れたぼくは再び一週間後、所用で来られない連れを残し、一人で実家までその子をいただきに来たわけですが、すでに先週のその純白色の子は他の方にもらわれていて、残っていたのが、一匹、チャカチャカぷんぷんと遊んでいた"ちゃちゃ"だったというわけでした。

 
 その頃から"ちゃちゃ"は生家でも、その家の子どもたちに"チャチャ"と呼ばれていたようでした。

ぼくにとっては、茶色い毛色よりも、マスカット色の大きなくるりんとした眼と、大きな三角の耳、口元にある三本線に見えるひげの生えぎわが印象的な仔ネコであり、そして、今まで田舎ではあまり観たことのない長い毛の種類でもあり、見慣れない動物のように映りました。
ぼくは、ペルシャ・チンチラ(ゴールデン)というネコの種類があることを、初めて知った程度でした。洋ネコです。

 

 ぼくにとって、"ちゃちゃ"は、そんな程度の第一印象でした。

 

 

 北海道の桜も散り、緑たちがぐんぐんと増え、オホーツク海の蒼さがそよそよと優しくなる頃。ちゃちゃが来た頃、たしかに、ぼくたちには2人の暮らしが、ありました。


 "ちゃちゃ"は、最終兵器なのだという使命を担っていることを知ってか知らずか、カセットテープなどを入れるような小さなプラスティック製のカゴの中に静かに収まり、連れの待つ 自宅へと向かう約1時間半の運転中、ぼくの足元でじっと、おとなしくしていました。


 その車中、ぼくは、車高が低くて、ボボボッとうるさいマフラー音を出す車の運転をしながら、片手に乗るほどの小さな"ちゃちゃ"を相手にいろいろな話をしました。
 君のお父さん、お母さんはどんな人(ネコ)だったのン?真っ白だったのン?
 君は、お父さんやお母さんから、特別な毛の色をもらったんだねー、すごいねー
 これから向かうお家には、優しくてきれいな女(ひと)が、待っているからねー
 君のことを楽しみにして、待っているよー
 そうそう、大きなお兄ちゃんネコがいるからね。
 "にやお"兄ちゃんって云うんだよ、よろしくねー、などと。


 連れは、描いていたあの純白なネコではないにしても、とても素直に両手で喜んでくれました。
それから、お互いからの異論も一つもなく、名前はそのまんまの"ちゃちゃ"という発音になりました。
茶色いからということでもありますし、おもちゃのような仔ネコでもありましたし、近郊の街でちゃちゃワールドという施設が注目されていた頃でもありましたから、その発音も、意味もとてもわかりやすく、ぼくたちには、簡単にやさしく口にできるものでした。
初めての環境に入った"ちゃちゃ"は、最初の動物にありがちな、あちこちを偵察したり、匂いを嗅いだりとするようなこともなく、ただただおとなしかったです。
借りてきたネコ状態だったのかも知れません。


 しかし、一見、気品高そうな"ちゃちゃ"ではありましたが、先ネコ"にやお"のカリカリのご飯を食べますし、"にやお"にしてもあまりにも歳が離れているせいか、全く、我関せず「オレ、関係ないもんねー、それよりメシくれよ、メシ」、という感じの2匹の初対面でした。

"ちゃちゃ"は、鼻ぺちゃで顔が平面なので、カリカリの入った器に顔を入れて食べることがなかなかできなく、右前足でカリカリを一つずつ床へとポトリと取り出して食べるという器用なことを最初からする子でした。


 初日から"ちゃちゃ"は、"にやお"のトイレにまで、一緒に用をする始末であり、全く、手のかからない子だということがわかってきました。
心配していたトイレの仕方を教えなくとも良かったのです。
せっかく別の新しいトイレを用意したにもかかわらず、それさえも必要ないようでした。
この子は、デリカシーがないと云うのか、無頓着とか無神経とかと云うのかも知れません。
"にやお"にとっては、迷惑な奴の、突然の登場であったことでしょう。


 それは、新しい家族として新たなお金がかからないという、少しありがたいことでもありました。
見た目が何だか高級そうな洋ネコなので、値段の高いネコ専門の缶詰などを与えねば、とも覚悟もしていましたから。


 それからの春の移ろい、ぼくは"にやお"と、連れは"ちゃちゃ"と、各々の部屋で寝るようになりました。
幾分、夜の茶の間の蛍光灯さえ明るく感じられるようになったことに、ぼくはうれしさと明るい未来への変化の予感を覚えました。
やってきた小さな小さな"ちゃちゃ"という存在が、ぼくたちの暮らしに何かを与えてくれるような気がしました。


 それでも、"にやお"は外のパトロールをかかさず、道行く人たちにも挨拶をしなくてはならないため、夜な夜なと出かけてゆく奴でもありましたから、ぼくは、連れが仕事で帰宅遅い毎夜に、仔ネコの"ちゃちゃ"への「かまい方」もわからず、少しとまどいながらも、普段通りいつものように過ごしていました。
ぼくは、帰宅してから、資格取得や衛星画像の活用法などの勉強を、始めていた頃でもあった。

 


 ◇

 

 

 緑輝き、さわやかな風が袖口や頬のあたりを遊んでゆく頃。
すれ違いはすれ違いのまま、何事にもしない、平素をとりつくろうぼくたちでした。


 "ちゃちゃ"は小さな頃から、転がりそうなものに興味を示しては小さな右前足をおそるおそると伸ばし、それが転がり始めることがわかると、ほれほれ~っと両前足で追いかけ、家具の下や隅などに入れ込んでしまっては、どこへ行っちゃったかな~と、独りで途方に暮れる子でした。
ぼくが勉強に使っている消しゴムやペン類も、忽然(こつぜん)と消えるのでありました。
連れがぼくのために作っておいてくれている好物の「おにぎり」を包んでいたアルミホイルは、ぼくの手のひらの中で一瞬にして丸まっては、放り投げられ、格好の"ちゃちゃ"のおもちゃへと変身したりもしました。もしや、光りモノが好きだったのかも知れません。

好きだったといえば、なぜか漂白剤の匂いが好きなようで、うじゃうじゃしていました。


 幼い頃の"ちゃちゃ"は本当に小さく、毛並みもふわふわではなく、どこにいるのかさえ存在がわからないような子でした、その頃は黄色の首輪にチリンチリンと鳴る鈴をつけていました。
ぼくたちが、ドタドタと台所などを歩いていて踏んでは大変なことになると心配したから。
首輪は、つけているというより、ぶら下げているという表現が適当なほど、まだ小さい子でした。


 「ちゃちゃ~」と呼ぶと、どこかの部屋のどこかの隅で、チリンと音がかえってくるのでした。
つまりは、例え返事はしなくとも、呼ばれてぼくたちのところへ来るほどの愛想はできなくとも、少なくても寝返りなのか、ナンダ?という動きか何かくらいは、"ちゃちゃ"なりに反応してくれていたのでしょう。
そんなチリンの音を聴いては、そのたびに、ぼくたちは、ほのかに安心していました。


 "ちゃちゃ"は鳴かないネコだね、どこかおかしいのではないの?、と、ぼくたちが思い始めたのも、この頃からでした。
「ごひゃん、ごひゃん」と、うわんうわんとご飯をねだっては、足元にまとわりつく"にやお"とは違い、何かを要求するわけでもなく、寂しがって鳴くわけでもなく、ぼくや連れ、そして外ネコの"にやお"がそれぞれと出勤している一日の長い間、独り、まだ幼い"ちゃちゃ"は家の留守番をする子に、不憫(ふびん)にもさせなくてはなりませんでしたから、なおさら、そうした言葉や要求がないことを、とても心配しました。


 それでも、いじけることもなく、ぼくたちが抱っこをすると、ゴロゴロと喉を鳴らす、そんな素直で手のかからない子でした。
幼い頃の"ちゃちゃ"は、そんなぼくたちに見守られ、とても仔ネコの風貌(ふうぼう)ではなくて、アライグマの子のような感じでもありました。

 


 ◇

 

 

 家の中に、ぼくの連れの声がなくなった初夏の頃。
季節感もなく、食事も、睡眠さえもできない、心を閉じた独りだけのぼくでした。


 ぼくは、"ちゃちゃ"を肩に乗せて、海を見せにドライブに連れて行ったりとするようになりました。
「ちゃちゃ~、大きな水たまりだよう、しょっぱいけどね。
君の生まれた家にまで、このお水は、つながっているんだよ」
そうして、"ちゃちゃ"に初めて広く大きなオホーツク海を見せたとき、この子はどこまで見えているのだろうと、ぼくは思いました。
それでも、ぼくの肩に乗り、潮風を感じている"ちゃちゃ"は、故郷の匂いを感じているようでもあり、そして慣れずに怯えているようでもありました。


 だんだんと"ちゃちゃ"の柔らかなそよそよとした毛並みが、ごわごわと硬くなってゆくようでした。
波打ち際で海水を手にとり、横顔にいる肩の"ちゃちゃ"に味を感じさせてあげたら、何だか少しイヤな顔をされたような気がしました。
せめて砂浜で遊ばせてあげようと、砂の上にそっと下ろすと、"ちゃちゃ"はビビって、すぐにツメをたてて、ぼくの肩まで駆け上がってきては、しがみついていました。
そんな、どちらかというと興味や好奇心はあるものの、いざとなると怖がりな子でした。


 そうして"ちゃちゃ"は、だんだんと連れのための子ではなく、最終兵器としての役目も果たせずに、いつも日中にいない外ネコの"にやお"を越えるぼくの眼に映るかわいい子へとなってゆきました。
そんな、ぼくは、"ちゃちゃ"と、向き合い、過ごすことが多くなっていったのです。


 "ちゃちゃ"が鳴くようになったのは、ようやく、その頃だと思います。
「ピャーア」ということを、一日数回だけ、ぼくに云うようになりました。
ネコなのだからニャーという言葉を覚えなさいね、と云っても、"ちゃちゃ"の言葉は治りません。
ぼくは、これもネコの世界での「ペルシャ語」なのかなあ、と単純に思って済ませてもいたけれど、だいたい言葉というものは耳で学び、環境から教わるものなのになあ~と、不思議に思いました。
何でも、いつでも、何を言いたいときにも、同じ「ピャーア」と聞こえるのです。
それも、ん?なんか云ったか?と思うほどの、蚊が泣いているような、か細い声で。
でも、それはようやく、"ちゃちゃ"にとってひとつの言葉を覚えた頃だったのかも知れません。


 "ちゃちゃ"は、ぼくと寝てくれるようになっていたし、ぼくは小さな"ちゃちゃ"をベッドにくぼみを作って乗せて安心したことを確認すると、ぼくが知らずに寝返りをしているうちに潰してしまわないように、ぼくは両手をきちんと伸ばして仰向けで天井を見上げ、じっと寝るクセがつくようになりました。


 それでも、"ちゃちゃ"は一度眠りの体勢についてから一度はチリンと起き、ご飯を食べに行き、カリカリと暗闇に音を立て、そしてぼくの胸の上にウニャと勢いの声を出して飛び乗ってきては、両前足を交互にふみふみし、ゴロゴロと喉を鳴らして、ぼくに精一杯、甘えてくれるようになりました。


 "ちゃちゃ"は、それでも結局、寝相の悪いぼくに潰されることもなく、毎朝ぼくより先に起きては、"にやお"と何か一日の予定を話し合うような仕草をしたりと、それなりのネコとしての朝の時間を何やらと過ごしているようでした。

 


 ◇

 

 

 盛夏、網戸にして夜風を入れる頃。
連れ宛に手紙を綴っている独りのぼくでした。


 虫たちの声を聞きながら、ぼくはよく友人とサシでバーボンを飲み、語りあうということが多くなりました。
"ちゃちゃ"は、人見知りをしないのか、別にどこかへ隠れるわけでもなく、ただ話を聞いているぬいぐるみのようでもあったし、それでも自分の話をされているときにはどうもわかるらしく、耳を動かしては何やら凝(こ)らしたり、尻尾の先をふわっと揺らしたりしては、表現していました。
"ちゃちゃ"は、いつもご機嫌なのか何なのか、尻尾を垂らすことなく、いつもくいくいと上げている子でした。


 その頃から、おんも(外)に行きたいと網戸に突進しては、まるで「カブトムシ」のように網戸にへばりつくという奇妙なことを、"ちゃちゃ"はするようになりました。

 

 ぼくたちの家は、社宅で、大通りから1本裏に入った静かな場所でした。隣がお寺さんという点を除いては、便利な角地でもあり、陽もたっぷり入る家でした。夜の窓は網戸にしていました。西陽で暑くなり、玄関ドアが変形したこともありました。


 夏の気だるい夜風の匂い、"にやお"が暮らす外の世界を体験したかったのかも知れません。
そんなことを繰り返しているうちに、本当に網戸を破って逃げ出してしまった夜には、ぼくは"ちゃちゃ"との捕物帖(とりものちょう)を展開せねばならず、ひどく睡眠不足になるのでした。
そんな夜は、大変な目に遭ったものでした。


 マス釣り用の大きな玉網を右手に持ち、"ちゃちゃ"の好きな白いシッポのようなおもちゃを左手にひょいひょいと持ち、さらに懐中電灯まで抱えて、闇の中に反射する"ちゃちゃ"の光る眼を探すハメになるのでした。
"ちゃちゃ"は、ぼくと完全に追いかけっこをしているとしか思っていないらしく、車の下や、ハマナスの茂みの中、道路向かいの野菜畑の中へと、次々と追うたびに暗闇をダッシュしてゆくのでありました。
いつの間に、そんな素早さを覚えていたのだろう、と、ぼくは複雑な気持ちになりました。


 いずれ帰ってくるサ、と玄関や網戸を開けて、入ってくる蛾などを気にしつつ、再び飲み始めても、遠くでネコの喧嘩の鳴き声がしたり、キタキツネの声がすると、ひどく心配になり、落ち着いて飲んでなども、だんだんいられなくなってゆくのでした。
何でもキタキツネは、捕れるネコは捕って食べてしまうのだと、ぼくは、また誰か忘れましたが聞いていましたから・・・怖かったのです。
"ちゃちゃ"には、そんな逃げ足も、経験も知恵もないよな、と思っていましたから。


 結局、ぼくのところに飲みに来る友人たちは、心地よく酔いながらも、夏の夜にそういうことにまで付き合わされるのでした。
そうしてほろ酔い気分で、歩道のヒンヤリしたアスファルトに座り、幾度、星空を眺めたことでしょう。


 しまいには、のんのんと外で夏の夜を過ごしていた"にやお"までが、手伝わされるハメになります。
そういうときには、"にやお"もどこかからやってきて、歩道の上で心地よく身体のかゆいところを押しつけてかくように、ゴロゴロ、うじゃうじゃとします。
かゆみが治まるのか、ひとしきりその動作を終えると、ぼくは、"にやお"に、"ちゃちゃ"を探してきてよ、と頼むと、きちんと"ちゃちゃ"の居場所へぼくたちを連れて行ってくれるのでした。
"にやお"は、本当に誰にでも愛想も良く、人の言葉の云うことのわかる賢い子でした。

 
 ようやく捕まえられた"ちゃちゃ"には悪気はないらしいけれど、体中の毛は土だの草だの油だのでぐしゃぐしゃになってしまっていて、深夜にお風呂に入れ、ぬれぞうきんのようになった細い"ちゃちゃ"を嫌がるドライヤーで押さえつけてわしわしと乾かし、といった一連の回復作業をせねばならなく、ぼくにとっては、だから、そうしてひどく長くて疲れる夏の夜になるのでありました。

 


 ◇

 

 

 盆踊りの曲が遠くから風と聴こえてくる、晩夏の頃。
郵便受けに届く返事の手紙をただ待つ、独りのぼくでした。


 この頃、ぼくがひとつ覚悟をせねばいけないことの一つに"ちゃちゃ"の去勢手術の決断がありました。
その覚悟と決断の、"ちゃちゃ"にとっての時期が、だんだんと近づいてきました。
どうも男のぼくにとって、それはひどく酷なことのようで、自分事のように思えて仕方がありませんでした。
それでも、そうすることが長生きすること、性格も子どもらしさを残した穏やかなままになることの説明を、亡き父の親友である獣医さんから聞いて覚悟をし、"ちゃちゃ"を連れて行き、手術をお願いをしました。


 麻酔をかけられるとき、ぼくは手を添えて"ちゃちゃ"の開いた眼を観ていました。
手術が終わり、ティッシュに包まれたモノをいただき、まだぐったりした重さの"ちゃちゃ"と帰りました。
家の中で"ちゃちゃ"を横にさせ、麻酔が醒めるまで、ぼくは"ちゃちゃ"のそばにいました。
開いている眼が乾かないように、点眼をしたりとしていました。
どこを触っても反応せず、ただぐったりと体が置かれている、といった感じでした。


 どれくらいの時間が経ったでしょう、どんな気分だったでしょう、ようやく麻酔が醒めかけた、"ちゃちゃ"は、そばにいるぼくの存在を見つけたようでした。
小さな体を重たそうに起こし、ぼくの方にヨタヨタと向ってこようとして、そして、コロンと転びました。
その瞬間、この子が愛しくて仕方ない感情が、ぼくの心の中に溢れでました。
そして、この手術をしたことは、ぼくは同じ男として、"ちゃちゃ"にはナイショにすると決めました。
だから、その「キョセイ」という言葉などは、"ちゃちゃ"の前では絶対に口にしないと、決めたのです。


 "ちゃちゃ"が、初めて驚いたものは、どうも「カラス」の存在であったのだと、ぼくは思います。
茶の間の窓から見える電線に、黒く大きな鳥がまるで"ちゃちゃ"をからかうように、一羽一羽と増えてくると、"ちゃちゃ"の姿勢は伏せるような戦闘態勢になり、そして固まり、そしてケケケと云いました。
威嚇しているのか何なのか意味は不明ですが、カラスたちに向かっては、"ちゃちゃ"はケケケと鳴いたのです。
しかし、"にやお"と家に一緒にいると、どうも気にすることもなく、ときには逆に余裕さえ感じさせる態度を、"ちゃちゃ"は大きくとるのでした。
どこか臆病な"ちゃちゃ"にとって、"にやお"は、とても頼りになるお兄さんだったのでしょう。
それにしても、ぼくは、"ちゃちゃ"の鳴くケケケの声が、おかしくもイヤな心地でした。


 その次に、"ちゃちゃ"が驚いたのは、さかなであったのだと、ぼくは思います。
オホーツク海で釣りあげてきた大きなマスを、玄関内で迎えてくれた"ちゃちゃ"を喜ばせようと、ドンと置いて見せつけたとき、たしかに一瞬のうちに"ちゃちゃ"は固まり、ビビっていました。
あの銀鱗に対してなのか、大きさになのか、眼になのか、潮やさかなの匂いになのか・・・
"ちゃちゃ"は、もう二度と見たくないというようなショックを抱えながら、奥の寝室のベッドの下へと逃げ込んで、固まり、じっと眼を凝らして、びくびくとこちらを伺っていました。

 掃除機に驚き、おののくことは、よくあるネコの話として、云うまでもありません。

 


 ◇

 

 

 少しずつ月が冷たさと青白さを増す初秋の頃。
ぼくは独り、まだ夏の風鈴をぶら下げたままに過ごしていました。


 "にやお"も家にいるときはそうでしたし、"ちゃちゃ"もそうでした。
ぼくがトイレをしていても、カラスの行水のようなお風呂に入っているときも、待っているのです。
というより、扉を閉められ、ぼくが見えなくなるのが気になるのか、どうも不安のようです。
"ちゃちゃ"は、ぼくがトイレでうーんと座っているときに、扉の下に数センチある隙間から右前足の先をさっと入れ、しまいには左前足もすっと入れ、探ろうとしています。
そして、まるでワイパーのように動かして、まさぐるのです。


 いつもぼくはそんな"ちゃちゃ"の手の光景を、ほぼ真下に眺めながら、用を足さねばなりませんでした。
あまり落ち着いた気分にもなれないから、扉を開け、肩に飛び乗ってくる"ちゃちゃ"の重さを感じつつ、背中を丸めてぼくは用を足し、一緒にくちゃいくちゃいと云いながら、"ちゃちゃ"とトイレを出るのでした。
その点、"にやお"は、きちんとお座りをして、扉の外で待っていてくれる良い子でした。


 お風呂の湯船にちゃぷんと入っていると、"ちゃちゃ"は湯船のへりに両前足をかけ、ぼくを覗きこみます。
まるで、ちゃんと肩まで入ってるのン?、と云われているようでもあるから、ぼくはイヤです。
それでも、ぼくは手のひらで水鉄砲などをしてあげると、濡れることを嫌う"ちゃちゃ"は、ピャーと逃げ去り、お風呂の外に敷いてあるマットの上で両前足を組んで、丸くなって、まだなのン?と、のんのんと待っていました。
"にやお"は、ぼくの入浴に関しては、ほぼ興味も、あまり不安もないようでした。
精かんで「タマ」を持つ"にやお"にとっては、男のぼくの裸などには興味はなかったのでしょう・・・

 


 ◇

 

 

 ひんやりした透明感ある空気に光の粒が溢れる仲秋になった頃。
連れは週に何日かは家に帰ってくるようになり、ぼくたちは当たり障りのない振る舞いを、つくっていました。


 連れは、よくおいしいコーヒーをつくってくれました。ぼくはさらに牛乳を加えます。
ぼくはそのコーヒーを口に運びつつ、ソファーで新聞を広げるといった、ごくありふれたことをしていました。
いつか投稿したものが掲載されているのを見つけては、連れに、これこれ、と報告したりしました。
"ちゃちゃ"は、ぼくが新聞を広げていると、その下にわしわしと潜りこみ、そして今度は新聞の上にがしゃがしゃと乗ってきては、ただただ、ほとほと邪魔なのでありました。


 休みごとに、"ちゃちゃ"を芝生のある公園へと連れて行っては、草を自由にあむあむとさせたりしながら、ぼくはのんびりと缶のミルクティーなんかを飲んでいるといった朝の時間も過ごすようになりました。
"ちゃちゃ"は忍ぶような足どりであちこちうろうろとし、いつもぼくが視界にいないと怖いようであり、少し遠くへ行っては、ぼくの方をチラリと確認し、戻ってくるということを気ままに繰り返していました。
はじめは、犬のように綱をつけていたけれど、体が小さく柔らかい"ちゃちゃ"にとっては、ちょっとしたうじゃうじゃ暴れでするりと一瞬で外れてしまい、意味のないことだと、わかりました。


 そのとき、"ちゃちゃ"が初めて、「捕ったよ、えらいでしょ? ほめて、ほめて~」と、ぼくのために口にくわえて運んで見せてくれたものは、すでに夜露で飛べなくなった弱り切った一匹の「赤トンボ」でした。
秋空に群れをなしてスーッと飛んでいる「赤トンボ」ではなく、広い芝生のどこかの草の上で、パタパタと落ちて、ただ、もがいていたのでしょう。
それでも、ぼくは、"ちゃちゃ"と同じで、連れへそのことをうれしそうに子どものように報告しました。
「今日ね、"ちゃちゃ"がね、初めて獲物をとったよ。 何だと思う? それがさー、死にそうな赤トンボ!」

「へえ、そうなの?」
連れは、やさしく笑ってくれていた。
それまで"ちゃちゃ"は、たまに家の中に出てくるワラジ虫を、ただじーっと眺めているような子でしたから。


 "にやお"は、いつも、ねずみやカエル、すずめ、大きな毛虫、さらにはどこかの家先から庭ボウキまで持ってきてくれたこともありました。
"にやお"は、そういう意味では、かなりネコらしくも、さらに実用的な子でした。


 "ちゃちゃ"のお腹が、実は、こんがらがった毛玉だらけなのだと云うことを、ペットショップに連れて行ったこの頃に、初めて知りました。たしかに多少、不自然には思っていたのだけれど。
結局、"ちゃちゃ"は、店員さんに押さえられ、ブラシでぐわしぐわしと毛玉ごとむしり取られ、バリカンを当てられ、つるりんとした柔らかい肌色のお腹になっていきました。
そのとき"ちゃちゃ"は初めて、ギャーギャーと死にそうな声を上げていました。何ともないのよ。
でも、そうとう痛かったのでしょうね。


 それからぼくは、同じカットハサミとクシを買い求め、"ちゃちゃ"をカットすることが習慣になっていきました。
毎回、わんさかと柔らかい毛がとれました。
この毛は、何かに使えそうだよなあ、、、と、ぼくは、いつも思っていました。
ついでに、血管が透けて見えるツメもぱっちんぱっちんと、たまに切ってあげたりすることもありました。


 その、カットというものはなかなか難しく、特に顔などは微妙な一回のハサミ入れが、もう片方側のハサミ入れにもつながってゆき、その繰り返しとなってゆき、いつまで立っても、ぼくのカットの腕は上達しなかった。
そして、ぼくのせいで、その頃の"ちゃちゃ"は丸さのない、ややどこか四角い顔をしていたものだった。
「今日はね、ちょっとこの辺、切りすぎたよ。何だかライオンみたいになっちゃったよ。ヘンかなあ?」

「そうねえ、でも、へんじゃないよ」
それは、連れがぼくをからかう一つの楽しい会話にもなるのだったから、ぼくは別段、悪い気もまんざらしていなかった。

 


 ◇

 

 

 路面の水たまりたちの表面がパリッと固く姿を変え、土たちに霜柱ができる晩秋の頃。
ぼくは、再び、ただじっとの独りになりました。


 "ちゃちゃ"がやはり外ネコの"にやお"から、いろいろなことを匂いやネコ同士の何かから学んできているということを、ぼくは当たり前に思っていました。
ぼくがまだ出勤しているときにも"にやお"は家のそばで、あ~ん、あけてくれ~と、うわんうわんと大きな声で鳴いていたのだと思います。


 "ちゃちゃ"はそのたびに、その窓の方向に走り寄り、磨りガラス越しに、ぼんやり動くモノ同士で、待ちわびあっていたのでしょう。
そのことは、"にやお"が家の近くに帰ってきたことを、"ちゃちゃ"が一番先に察知する仕草を観てわかってもいましたから、いくら鈍感なぼくにでも容易に想像がつきました。

 外ネコの"にやお"は、ぼくと"ちゃちゃ"がいるときに帰ってくると、うわ~ん、と大きく一声、鳴きます。
"ちゃちゃ"は何をしていても、すぐさまにその"にやお"が鳴いた方向の窓へと行き、ピャーア?、ピャーア?と、何やら返事らしいものをしていました。
幼い"ちゃちゃ"も、なかなか義理堅いヤツでありました。


 たいてい、ぼくが出勤などをして外出している日には、外ネコの"にやお"は、ぼくの帰宅を、玄関前できちんと座って待っている子でした。
ぼくの車のマフラーの音がすると、ぴょこんぴょこんと家に駆けて帰ってくるという子でもありました。
だから、一緒にただいま~と家へと入り、幼い"ちゃちゃ"に、ぼくと"にやお"は迎えられるのでした。
"ちゃちゃ"は、"にやお"の身体の匂いをくんくんと嗅ぎ、真っ先にご飯へと向かう"にやお"のそばへ添い、ねえねえ今日は何があったのン?と尋ねているようだったけれど、"にやお"は素知らぬ態度で「メシ、メシだ」と、ガツガツとカリカリのご飯を、見事になくなるまで欲望のままに食べていました。
その周りで、"ちゃちゃ"はうろうろし、"にやお"の体の匂いを、ひくひくくんくんと嗅いでいました。


 "にやお"が満腹をし、ごろんと横になり、毛並みの手入れにペロペロと忙しくなると、"ちゃちゃ"は待ってましたとばかりに、"にやお"へと、ちょっかいを出しては、遊びをせがんでいました。
右前足を出したり、両前足で"にやお"の背中に横から飛び乗ったり、自らごろんとお腹を見せたり、後ろ足で立ち上がってみせたり、と。
しかし、"にやお"は大人なのか、男同士だからなのか、あまりそういう面倒を見る子ではありませんでした。


"ちゃちゃ"は"にやお"に飽きると、今度は、家で飼っていたピラニアの泳いでいる水槽のろ過装置の上に乗り、恐る恐ると、右前足をそろりと水面にチャプンとつけ、それを口に運んではその水を舐める、という、なんとも危険なことをするのでした。
実際には、ピラニアという魚はとても神経質であり、心配するほどのことでもなかったけれども・・・。


 ぼくは、仕事で宿泊も伴う出張などがあると、"にやお"は外で何とかなるとしても、"ちゃちゃ"はまだ小さいし、とても心配でした。
出かける朝には、ポケットにでも入れていきたい気分になってしまうのでした。
ちょこんと床にお座りをして、ゆっくりまばたきをする"ちゃちゃ"を置いてゆくことが、とても切なかったのです。
出張から帰ってきて、器に大盛りにしておいたカリカリが少ししか減っていないことを見て、おもちゃを囲こんで独りそこで夜を越えていたのだろうベットの上のくぼみを見つけて、ぼくは"ちゃちゃ"にただただ、そうして言葉では通じない愛おしい気持ちを重ねました。

 


 ◇

 


 
 季節は過ぎゆき、凛(りん)とシバレ冷え込む冬の頃。
ぼくはそのまま独りで、ネコたちとストーブの前で暖まっていました。

 初めて"ちゃちゃ"は冬を迎え、雪がまぶしく輝く穏やかなある日の日中に、ぼくは抱っこをして雪の上に放り投げてみました。"ちゃちゃ"は、初めての雪に喜ぶと思っていたからです。
しかし、"ちゃちゃ"は、なんと雪の中にそのまま埋まり、伏せ、そして、やはり固まってしまいました。
じゃれることもなく、飛び逃げるわけでもなく、そのまま動かなくなってしまったのです。
やれやれと、また抱っこをして、家の中に入れると、ダッシュをして、ぼくから一定の距離を取ると、毛づくろいを始め、肉球についた雪から融けた水をぶるぶると片足ずつ、ほろうのでした。
お腹の毛には、小さな氷玉が、いくつも、ぶら下がっていました。
"ちゃちゃ"には、雪はダメなんだな、と思いました。


 一方、どんなに吹雪いていても、"にやお"は、きちんと定時に朝から出勤をする子でした。
こんな日にどこに行くのかとも思うのですが、雪に消されてゆく足跡を眼で追うと、近くの納屋のようでした。
それでも、そんな日は、すぐに帰ってくることも多かったです。


 そんな頃、午後の職場で、親友から「"にやお"が車にはねられ、引きずられているのを見た」と聞きました。
"にやお"は長い尻尾の先が鍵のように曲がっている子だったから、引っかかってしまったのだろうか・・・
すぐさまに現場に行くも、"にやお"の姿は、どこにも見あたりません。
道路の雪面に血痕なども見あたりません。
いつもはすぐに駆け寄って来るのに、いくら呼んでも、どこからも声さえしないのです。


 夜の寒い中、友人たちにも手分けしてもらって、あちこちと探したけれど、それでも見つつけられませんでした。
「にやおー、にやおー」と、みんなであちこちを呼んで歩きました。
結局、その日は帰って来ませんでした。
その翌日も帰って来ませんでした。
その翌々日も帰って来ませんでした。


 3日目の冷えた夜半、息も絶え絶えの"にやお"が玄関で鳴いたような気がしました。
玄関のドアを開けると、やせ細り、尻尾は途中でなくなり、尻尾の下側は肉や骨が見えるほどの、体中を傷だらけにした"にやお"が、所在ないような、申し訳なさそうな眼をして、玄関外で待っていました。
ぼくには、本当はこの傷つきを見せたくないんだ、という気持ちを、この"にやお"が抱えていることを何だか神妙に察しました。


 それでも、よく帰ってきてくれた。
一体どこで厳寒の中、痛みに耐えていたのでしょう。
すでに夜も遅かったけれど、すぐに動物病院へ電話をして、状態を説明し、指示をいただいきました。
とにかく命に別状はないから明日でも診察は良いとのことで、ぼくは、ひとまず安心しました。
冬であったことが、引きずられた路面も雪であり、傷の化膿やバイ菌の侵入がなかったのかも知れませんねと云いました。
友人たちへも、その旨を報告して、喜んでもらいました。
「"にやお"は、道路を横断するときも、ネコらしくなくて悠々だからなあ、、、まあ、良かったよねー」
小さな街の中でも、知り合いに呼ばれると愛想をふりまきにゆくほどの、"にやお"でした。


 "にやお"は、治療後、パラボナアンテナのようなモノを首の周りにつけられ、一緒に家に帰ってくると、出迎えてくれた"ちゃちゃ"が、その"にやお"の顔の姿を見て、ギョっと驚きました。
"にやお"は、そのモノが気に入らないらしく、何度も左前足で、がしがしと無理矢理に取ろうとしました。


 ご飯を食べようとしても、水を飲もうとしても、そのモノが床に突っかかり、かなり邪魔なようでした。
"ちゃちゃ"はおもしろいのか、それにじゃれてしまい、噛み噛みをしてしまう始末であり、"にやお"が少し気の毒ではあったが、まあ、仕方ありませんでした。
それでも、"ちゃちゃ"も安心したのか、"にやお"と一緒にぼくの歩く先々に、いつものようにまとわりつき、ぼくの足に甘え噛みをしては、うにゃうにゃと、うれしさを表現している様子でした。
"ちゃちゃ"は、そのうれしさが加速化してゆくと、ごろんと横になっては、うじゃうじゃと左右に転がり、床をずりずりと移動していっては、どこか家具の角に頭などを、いつかはぶつけてしまうのでした。


 この頃、ぼくがそんなヨロコビいっぱい状態の"ちゃちゃ"を無視をしてしまうと、だんだん得意になってきた両前足で、ぼくの足を抱え込んでの足キックを、ビシバシと、くらわしてくるようにもなっていました。
痛いのだ、これが・・・結構。
それから、ぼくは、防護策として、なるべく家の中では、どうせ冬だしと厚手のスリッパを履くようにしました。
それでも、一度ぼくの足を抱え込んで足キックを始めると、しばらく続くので、ぼくはそのまま"ちゃちゃ"をモップのように床の上を引きづりながら、片足をやや重たく歩かねばなりませんでした。

 
 家の中に冬の陽差しが温かくひだまりとなるお昼頃に、"ちゃちゃ"は、カラス以外のものにケケケと云うようになりました。さらに、そのものを一心にじっと見つめ、伏せて戦闘態勢に入り、じりじりと近づいていっては、えいっと追うようになりました。
それは、鏡などから反射して壁に映る、ゆらゆらとした光のかたまりに対してでした。
ぼくは、"ちゃちゃ"のその理性を失う行動がたのしくて、"ちゃちゃ"に使うブラシの光る部分や小さな手鏡などを使っては、家の中の壁や天井などに光をゆらゆらとつくっては、そうした"ちゃちゃ"に遊んでもらいました。


 ぼくは、ツラく行き場のない決断や迷い、訪れるだろう未来のやりきれなさといった気持ちを振り子のように感じながらも、しばらくぼくの眼には、そういう楽しいネコたちの暮らしの光景が続いてくれました。

 


 ◇

 

 

 雪解けが進み、ゆらゆらと幾枚に重なったスクリーンを観るような大きなボタン雪の舞う年度末の頃。
ぼくは、不甲斐なくホントウに独りの人生を歩むことになっていました。
家の中から大きな家具がなくなり、ガランとして、連れの人を感じさせるモノたちは何一つとなくなり、その、今まであったものがない、新しい広い空間が、寒々しさと寂しさを、ぼくに余計に感じさせました。


 最終兵器でもあった"ちゃちゃ"は、結局、その本来任務の役目を全うすることなく、いつものようにクッションの上で両前足を組んでは、まるで「てるてる坊主」のように、のんのんとしていました。
そして、ときおり、思い出しかのようにポリポリとご飯を食べにゆき、何を思ってかダッシュをしては、そして毛づくろいを、ただしているのでした。


 その頃、1才を迎えた"ちゃちゃ"は、うらうらとした春の陽差しを感じてか、何か本来せねばイケナイことが何かあったような、でも遠くどこかに忘れてしまったような、なんだろうな~と思い出したいような背中の哀愁をもって雪も融けてきた窓の外の景色を、ぼんやりと独り眺めていました。
ぼくはその"ちゃちゃ"の背中に、「スマンのう・・・」と申し訳なさを、男として感じていました。
春の匂いでも感じ始めたのか、小さな鼻をくんくんひくひくとさせていました。


 ようやく全快した"にやお"も、長くなってきた春の陽差しに誘われて、外へ出勤している時間も毎春のように長くなっていきました。余裕さえ感じさせる背中を見せては、どうどう悠々とゆっくり外出をしていきました。
また、ネコたちの壮絶な世界である「なわばり」を維持し、ドンとして日々がんばっているのでしょう。

 


 フト、幾度と補修した網戸から入り込む春の心地よい風が、家庭的な白いレースのカーテンから入り揺らす頃、ぼくは、慣れない不器用な指でアコースティックギターを奏でては、ネコたちに聞かせているようになっていました。


 「ひだまりの詩」の旋律と詩が、切なくも心にしみて、流行している、そんな春でした。
この子たちのことに替え歌にしては、幾度とポロリンポロリンとG、C、Am、D7と簡単なコードを繰り返しては、ネコたちを前に弾き語りをして、ただ、独り、春の風と匂いに音を乗せていました。

 

「これからどうしようか」

 

「にやお、ちゃちゃ、これからもそばにいてくれるかい?」
 もちろん返事はありませんでした。


 孤独になったぼくの暮らしには、チャカチャカぶんぶんの、まだ1才の、任務を果たせなかった"ちゃちゃ"が手もとに残され、これからの人生の相棒としての覚悟があるのかないのかといった、小さなか細い存在感に包まれていました。

それはそれは、ほんとうに小さなか弱い存在感に包まれていました。

 

 誰もがネコを飼うということは、偶然の境遇の連続なのかも知れません。

 

 (おわり)