さくらの頃に逢いましょう

札幌赴任中、さくらが咲く前の季節から、舞姫ニジマスとの出会いを探してゆく物語


情報

2003年4月6日~8月31日間の休日

支笏湖及び周辺

対象:ニジマス・サクラマス・アメマス・ホウライマスブラウントラウト

 


Impressions

『夢で逢えないのなら』


 札幌での生活も、いよいよ折り返しの2年目を迎えた。
全く持って・・・運命の人との出会いがない日々を過ごしているのが、我ながら悲しい。
・・・やはり甲斐性がないのかナ・・・ごもっとも。

 こちら札幌へ赴任してから、この一年間、支笏湖(しこつこ)を中心に、ずいぶんと釣りに通ってきた。
だけれど、まだ、こちらでは50cmオーバーの「舞姫」には出会えていない。
この冬には、日本海、島牧村(しままき)での憧れの精悍で野性的な海アメマスを釣りに出かけてみたりもした。
(これは「舞姫」に対して"浮気"になったのだろうか・・・)
全く持って・・・運命の人と同じく釣れていないのが、我ながら情けない。
・・・やはり腕がないのかナ・・・ごもっとも。
 

 舞姫(まいひめ)。
ぼくが、「舞姫」と勝手に名づけて呼んでいるのは、ご存じのとおり、「ニジマス(おさかなさんです)」のこと。
湖面を弾力的に舞うその姿は、ぼくの眼には麗しく、しなやかで美しい「舞姫」のように映るのです。

 ホントウに一体、いつ頃からなのでしょうね・・・。
ぼくが、ときおり「舞姫」の夢を見るようになったのは・・・。
「舞姫」が夢に出てくると、その後、同じ印象を浮かべた「異性」との出会いがあるのだから、不思議なんです。
昨年末、クリスマス頃に夢で観たのだけれど、それは結局、当たらなかったナ・・・(なんでだろう~)
あれから、ずっと「舞姫」は、ぼくの夢には現れてくれないナ・・・

 この際、夢見ることをただ待つのではなく、その「舞姫」を、とことん追い続けてみようと思うんだけれど・・・
運命の人にも「舞姫」にも出逢えないのなら、いっそのこと、徹底的に「舞姫」と出逢うことに専念しよう、と覚悟を決める。
だって、満足のゆく「舞姫」を、実際に、この眼で、しかと愛でられたらさ、いいことがあるかも知れないもの。
  
 ぼくは、2年目の札幌での春も、その「舞姫」を、その"美"を、さらに"麗しさ"を、求め続けてみようと思う。

 昨年の「さくらの頃に逢いましょう」は、亡くなった彼女を「永遠の美の完成」として、ぼくは重ねたかったのかも知れない。
今年の「さくらの頃に逢いましょう」は、麗しき運命的な人と出会うための、単に独りよがりな”賭け”なのである。

 だから、昨年のように、このタイトルのように、北海道にも桜が咲くゴールデンウィークまで待ってなどいられないのである。
その先に続く、麗しき出会うべく人との出会いの瞬間に、少しでも早く近づきたいがために・・・
この動機が、例えどんなに不純でも・・・

 それは、希望的観測とも云うし、自己満足とも云うし、代償や昇華行為とも云う類のものでもある・・・
そして、それは他の人から観れば、"よくやるよね~"といった「ただの遊び」なのであるのも、これまた、事実なのですよね。
 
 2003年の早春、バカな独り男の"奇妙変態、摩訶不思議な"物語が、再び風に吹かれて、今年も始まります。
 

<使用しているタックル(ルアー釣り用)のご紹介> 

ロッド  DAIWA製 TroutSpecial PHANTOM 702LRS-Si



リール SIMANO製 ULTEGRA2000 2号ライン150m

この時期のお気に入りルアー『トップ5』 (左写真 上から)
▽niakis ニアキス 6g 色:クロキン
▽Heaven ヘブン  9g 色:GR
▽トラウティンサージャー 5.5g 色:GR
▽WANDER60 シンキング 6.2g 色:赤白
▽        〃             色:キンクロ
 ★まだ魚がスレていなく、融雪水で濁り気味で、稚魚を捕食するこの時期は、こうしたヤル気にさせる形や色がメインです


<ルアー釣りって、なあに?>

 針に魚が好きなエサをつけて待つ釣り方と違い、上写真のような金属片やプラスティックのモノ(ルアーといいます) を、ポイントへと投げ、リールを巻くことによって、そのルアーの動きでさかなを魅惑させ、針がかりさせる釣り方です。
ですから、ずっと竿(ロッドといいます)を振り続け、ルアーを投げて(キャストといいます)、リールを巻く(リーリングといいます)を、ただ繰り返し、続けるといった動作の釣り方になります。

 さかなが餌と見間違えて食いつく場合もあるようですが(こんなモノでねえ)、ほとんどの場合は、さかなの動くものへの好奇心や衝動的な本能なのだと云われています。
ですから、いかにルアーの持つ特徴的な動きを、ロッドのアクション(動き)やリーリングの速度で調整しながら、さかなのいるところ(その水深や遠近のポイント)で、いかに、だますか?なのです。
(ルアーとは、英語で「Lure」 ="引きつける、魅惑する"の意味です)

 基本的には、魚食性のさかなが対象になります。(水草や苔、プランクトンなどを食べているさかなには向きません)
海、湖、河川、渓流と、どこでもできる釣り方ですが、対象とするさかな、その大きさ、いる水深、時期、時間、その時期の捕食対象や活性、水の濁り具合、さかなのスレ具合の条件によって的確なルアーを選択しなくてはいけません。
 また使用するルアーの大きさや重さ、狙うポイントの遠近などにより、竿やリール(タックルといいます)も替えなくてもなりません。さらに、狙うポイントへと、きちんとキャストできる腕も必要となってきます。(こうして書くと難しいなあ・・・)

 ルアー釣りは、狙うさかなとのだまし合い、知恵くらべといった釣りですね。(まさに、恋愛みたいでしょう?笑)

 このルアー釣りの発祥は、ヨーロッパの湖でピクニックをしていた人が誤って湖中にスプーンを落としてしまったとき、マスがそれに食いついたことから、というらしいのですが・・・ほんとかな?

 


『ダムで逢いましょう』 4.6 sun

 4月、最初の週末。 目覚まし時計を使わないで起床、5:30。 ・・・少し朝寝坊。 いそいそとメールのチェックをしてから、一路、ポイントへと出かけた。 まだ春の作業が始まっていない霞がかった色彩のない田園風景と丘陵の平和が、道路沿いに広がっている。 天気予報では"晴れの行楽日和ですよ"なんて言っていたのに~、あの"お天気お姉さん"は、ウソつきだね。 ほら、こんなにも煙ったような「曇り空」だもの。  トボけた頭で運転していると、朝方の夢に、19才の頃に少しだけ付き合っていた「M子」が出てきたことを思い出した。 なかなかめんこい子だったな~、今頃、何をしているのだろうな~と思うも、こうして釣りの日に異性の夢を見たということは、 きっとラッキーなのだよな、そうだよな、そうだよね、と言い聞かせながら、レガシィのハンドルを握って直線道路を走る。  さらに、いつもの釣行の"ゲン"をかついで「浜崎あゆみ」さんのCDを聴く。 村にいた頃、屈斜路湖(くっしゃろこ)での釣りのときは、いつもそうだったのだ。 ぼくは、この人の曲を聴きながら釣りに向かうと、なぜか釣れる確率が高いのである。 なぜか、いいんだな~、これが。  今回、いつもの支笏湖ではなくポイントに向かったのは、ちょうど一年前、このポイントの氷が融け落ちたときにニジマス が釣れると聞いたことがあったからであって、一年前のその頃には、ぼくはとにかく支笏湖に夢中になっていて、ある日、支笏湖で24時間(なんてヒマな・・・)の滞在をしながら釣りをしている間に、ただ道路の行き方の偵察に来ただけだったのだ。 そのときは真夜中に来ただけなので、一体どんな湖の大きさで、どんな湖水をしているのか、ポイントはどこなのか、さっぱり 見えなかったから、今年は、その氷の融け落ちた時期に、明るい時間帯に来て、ぜひ一度チャレンジしてみたかったのだ。  国道から脇道へと進み、いよいよポイントという所で、冬期間の除雪をしていないため通行止めとゲートが置かれてある。
ぼくが初めてポイントの湖を眼にしたとき、「うわっ!」と、声を上げてしまった。
・・・まだ湖の氷が融け落ちていないんでないの、これ↓。(今年は春が遅いのン?昨年が早かったのン?) 

ポイントの湖面を眺めるも、一面、まだ結氷中・・・まだ冬ですか? 7:10

せっかく来たしさ、せめてインレット(流入河川のこと=逆に"流出河川"はアウトレットと呼ぶ)をのぞいていこうと、さらに奥とレガシィと共に侵入。
上流域に小さな川が流れ込んでいるインレットの一部だけ開水面になっているのを、橋の上から、んんっ?と、発見。
なんか、いやらしそうな雰囲気だが、この企画を始めた以上?写真くらいは撮らねばと、孤独を浮かべて湖岸へと降りてゆく。
気温は、3度。風強し (寒いじゃん)

とりあえず、やはり(当然です!)釣りをしてみなくては。。。
ウェダーも履かずに、全くやる気ナシの冬用長靴だけの格好で、雪を踏み抜きつつ、水岸に近づいてみると、ぼくのキャスト(ポイントへルアーを投げること)の腕前では困難なポイントであると、即座に判明・・・。
後ろにも木、ポイントにも木、水面の上にも木があるのである。
どうやって狙いたいポイントにキャストするのさ・・・
  
広いスペースのとれるところで、ルアーを投げてはリールを巻くという手首の運動を30分ほど繰り返していると、なんと、「グン!」と、さかながルアーに食らいついた衝撃と重みが、この腕に、かかってきたではないですかーあ!!
さあ、来たよ、来たよ、来ましたよーう!!
(↑ここ、うれしそうに読んでください)
 
弓状にしなるロッドを立てて、水面をバシャバシャと重たく暴れる様は、まさにウグイか? ニジマスか? ん、どっち?
淀んだ水中からユラーッと見えてきた魚体に朱色や斑点がないぞ、もしかしてサクラマスかっ!?
やっぱり、ウグイなのかあ?(→うれしくない、おさかなさんです 悲)
 
ようやく水岸の雪面の上へと取り込んださかなは、なんと!美しい、いきなり、サクラマス(ヤマメの降湖型)です。
 
コロっとまあるい感じだし、少し優しく淡い色合いで、ステキかも。 ちゃんと寒い冬も氷の下で餌を食べていたのかな。
パクパクしている。ビトンビトンと転がりまわる。
ごめんね、記念写真を撮って、スケール(大きさを測ること)したら、すぐ帰してあげるからね。
(ぼくのスケール測定は、「"体長"口先から尾びれ先端まで」ではなく、「"尾叉長"口先から尾びれの中心切れ目まで」です)

7:40 サクラマス(サケ科) 30cm

釣れるとわかると、こわいモノで、調子が出てくるから不思議ですね。
気持ちというのは、気の持ちようというのは、自信というのは、素晴らしいチカラを私たちに与えてくれるのですね。
あの木の根元の深み、対岸のギリギリのところ、淀みの澪(みお)など、果敢(かかん)に攻められるようになります。

ほいっ!また来た~っ♪ 今度は大きいよう! ちょっと興奮してくる。(一人で走り回って・・・)
いよっ、待ってましたあ! 待望の 「舞姫」ニジマスちゃん!!
今年初めての「舞姫」ニジマスちゃんですよー!
(↑ここも、うれしそうに読んでください)
背びれや尾びれには、ちゃあんとブチブチの黒斑点、いいですねえ。
頬にもお化粧の紅をつけたような朱色を彩っていて、ステキよ、ステキ、ちょっと大きい。

8:10 ニジマス(サケ科) 35cm

舞姫を淀みの水中へ帰してあげてから、さかなの匂いのついた手でタバコに火をつける。 フゥー、うまい。
こうして「舞姫」の写真も撮れたし、ひとまず良かった、良かった。
 
そんな余裕を持って周囲を少し歩いてみると、雪が融けたところの足元に「福寿草」(フクジュソウ)を見つけた。
北海道の長かった冬に、春を告げる代表的な花である。 写真(↓)は、ちょっとまだ、"つぼみちゃん"かな。

フクジュソウ(キンポウゲ科)

この花は、アイヌ語の名では「チライアパッポ」。
北海道の湿原河川に生息するイトウ(国内最大のサケ科淡水魚)は、この花が咲く、この時期に産卵のために上流をめざして河を遡上(そじょう)するため、イトウはアイヌ語の名で「チライ」と呼ばれる。
「生活や文化」と「自然の季節や地形などの特徴」の関連からの「名づけ」は、素晴らしいと、ぼくは素直に敬服する。
往年、そして、そのイトウの魚皮は、人びとの靴や服などに用いられていたほど、春のかけがえのない恵みの一つであった。

  
まだ大きい「舞姫」がいるかも知れないよナ。
欲と色気を出して粘ってみるも、時間ばかりが過ぎてゆくのは、日常と「おんなじ」です。

 

ルアーを最近使っていないスプーン(9g)に交換して、水底をゆっくりとリーリング(リールを巻くこと)してみたとたん。
3投目にして、ヒット!(さかなが針にかかったこと =類義語"フッキング"→さかなを針がかりさせるときに使う用語)
ちゃあんとシングルフック(1本針 =通常売られている際には3本針で、さかなへのダメージが大きいため交換して使う)に、かかってくれたではないですかあ。
  
あれれ、また美しいサクラマスだわ。
最初のより口先や体色もサクラマスらしいわ。
釣り上げたら雪の中に埋もれてしまったよ・・・だいじょうぶですか?
君は、なかなか将来、精悍(せいかん)な、さかなになるね。口元に野生の闘志を感じさせるものね。
しっかり、つよく生きてゆくんだよ。

 

9:10 サクラマス 29cm

サクラマスは、渓流に棲むヤマメが海(ほとんどメスが)へと降り、大きくなって産卵のために再び河へと遡上してきた個体指す名前なのですが、河と海との往き来が出来ない環境では、湖を海の代わりとして利用します。
サクラマス(降海型または降湖型)とヤマメ(河川残留型)は、同一種です。(本州のサツキマスとアマゴも同様です)
 
はるか遠くから車の内でぼくを見ていた数台の車が湖岸にやってきて、風の中、フライ(西洋式の毛針釣法)を始めだす。
フライのライン(糸)をキャストするスペースもなくて大変そうだが、いろいろと支笏湖などの情報交換をしながら、一緒に仲良く釣りをする。一人の方が、"まっくろくろすけ"のようなフライで、ぼくと同じ場所で、同じくらいのニジマスを釣り上げた。
写真を撮るわけでもなく、スケールを測ることもなく、そっと両手を水中でさかなに添えて、優しく水へと帰していた。
あ~なんて柔らかい人なんだ。
その方は、一匹のマスの顔を見て満足したのか、仲間の待つ車へと葦原(あしわら)を分けつつ、静かに戻っていった。
あ~なんて無欲で自然な人なんだ。

だってね、その後、ぼくは、立て続けに、2匹も、釣れたんだよう。

10:10 ニジマス 34cm

10:15 ニジマス 35cm

上の君は、胸びれ、腹びれと尻びれが朱色で、とっても優しい色合いで美しい子。
君は将来、そのまんまの美人ちゃんになりそうだね。
今回の釣行では、もっとも麗しき「舞姫」ちゃんに、もう決定かな?
すぐ5分後に釣れた下の君は、野生色濃い貴公子みたいな感じだね。(ちょっと、写真のピントがボケちゃってゴメンよう)
  
は~、なんだかお腹が空いてきたし、風も強まってきたので、もう止めようかな、という気持ちになってきた。
(この気持ちの時点で、釣り人としてはピリオド、終了、閉店、おあいそお願いしま~す、である・・・)
これだけ初回から釣れれば、いいやい。(相変わらず、根気や粘りがないよな、オレ・・・)
この季節、こんな数時間で、初めてのポイントで、ぼくにしては、上出来だ。
(おだたない程度に、少しは、ほめてあげましょうね、は~い) ※おだつ→北海道弁で"調子に乗る"の意味
  
でもね、ホントは山口智○さんみたいな雰囲気の、50cmオーバー、できればまあるいメス、ふくよか~な柔らかいコンディション(体型)に恵まれた、ズシッと重たい「舞姫」に出逢いたいのだけれどなあ。(相変わらず、理想が高くて、欲張りだ・・・)
今日は、何だかさ、あんまり区別のつかないモーニン○娘やミニモ○みたいな、やたら数だけ多い「舞姫たち」ってとこかな。
でもさ、でもさー、やっぱり、ボウズ(釣果がゼロのこと)より、よっぽど良い、良い♪ 
そうだね、ありがと、ありがと。 みんな(出逢えた5匹に)、ありがとっ。
  
  
そうそう、そんな今回の帰り道に、ぼくは奇妙な出会いに遭遇した。
橋の上で、なぜかしら一羽のハクセキレイに追われて、車までついてきて、ちょんちょんとまとわりついて、離れようとしなくて、ひどく困った。
ぼくの生活では今、別に、"鳥さん"に好かれても仕方ないし、困るだけなのである。
(たぶん、"ちゃちゃ"に遊ばれ、しまいに捕って食われる・・・)
  
でも、たぶん、ぼくが無意識のうちに知らずに、"鳥さん"の巣づくりかなんかを邪魔してしまっていたのかも知れない。
理由はわからないけれど、車に乗り込んでしばらく走っても、「ワタシを一人、置いて行かないでよ~!」と、追いかけてきた。
ちょっとだけ、身勝手にも、ぼくの孤独な心にとっては、それが奇妙にも切なくなったりした。
  
まてよ、ひょっとすると、「また来てね~ン!うふっ」と、スナックのおねえちゃんのマネでも、してみたかったのだろうか?
(いや、逆に、もう来るナ!と訴えたかったのかも知れない・・・うんうん、普通の野鳥なら、きっとそうだ →当たり前です!)
 
でも、君、よく見たら、スラッと美人系で、かわいいじゃないのン? ねえ?
ぼくは野鳥には、全くうといのだけれど、これだけそばにいてくれ、姿を見せてくれたら、やっぱり美しいなあと思ったよ。 "鳥さん"、また来るよん。 したっけね、バイバイ。
 
こんなそばに、ちょんちょんと、しばらく、まとわりついてくれた↓ (車の助手席側ドアミラーの上に乗っちゃってる・・・)

ハクセキレイ(セキレイ科)

この日、想えば、最初に釣れたのも、ルアーを交換して底引きしたときに最初に釣れたのも「サクラマス」でありました。
まだ水温の低い早春に、やる気を出して活性していたのは、「舞姫」ニジマスより、「サクラマス」だったということなのでしょう。
どんな種類のさかなが生息しているか、よくわかっていない初めてのポイントでの今回の釣り。。。勉強になりました。
 
ホンモノの「舞姫」との出逢いの旅は、「君の名」を指でなぞるように、これからも、もちろん続きます・・・
 
さ~て、来週末は、いよいよ支笏湖かな~、ダムの氷は融け落ちているかな~ (さて、一週間、真面目に仕事しよっ!)

『無理にでも希望は持ったほうがいいのである。
 
何の根拠がなくても、希望の有用性を信じた方がいいのである。
 根拠のない希望を持てる人は、それだけ強いのだ。』
      (川村則行 「本当に強い人、強そうで弱い人」より)


『きちんと休日に行くべし』  4.11 fri


 
金曜日の午後。
ぼくは、薬をもらいにいつもの病院へ寄った後、選挙カーの喧噪(けんそう)の札幌を抜けだして、直線道路を「浜崎あゆみ」さんの曲を聴きながら、レガシィと共に走っていた。
数時間くらい前には、ネクタイをしていた・・・
 
今週の北海道は気温が一度下がり、そして移動性高気圧に包まれた晴天の温かい日が続いていた。
ぼくの思考はずっとこんな感じだった。
(ポイントの氷は融けたかなあ、、、さかなの活性も良くなっているだろうなあ。。。あのポイントはどうなっているかなあ。。。)
脳みそが「さかなのこと」しか考えていない。
 
・・・仕事のキリが良いことを身勝手な理由に、まだ新しい仕事に不勉強なことを恐縮しつつ、先月、休日出勤した際の「振替」を金曜日午後からいただいた。
 
天気予報では、「土日は雨なり」・・・
午前中、職場の窓から見える都会の空は、気持ち良いほどに、恨めしいほどに、青かった。
今日しかない!、それも釣り人はいないだろう平日の夕まずめ! (夕まずめ=さかなが釣れやすい夕暮れの時間帯のこと)
すでに、ここまで来ると、もう・・・これも「病気」である。
 
湖の氷の融けた明るい春のポイントで「舞姫」に、出会うのだ、であうのだ、デアウノダ。
 
 
・・・しかし、ポイントに到着したとたん、ぼくは、すっかり「やる気」が失せてしまった。
というのも、氷は全体的に融けてもいず、かろうじてある大橋のたもとの開水面には先客の釣り人の車、車、姿、姿・・・
前回おいしい思いをさせていただいたインレット部分のポイントは、すでに雪もなく、近づけもしない水浸しの湿原状態である。
 
それでも、車を停め、エンジンを切ると、湖の山裾でひしめいているエゾアカガエルたちの産卵の大合唱に包まれた。
子どもの頃からカエル捕りの好きだったぼくは、つくづく春だな~、春ですね~と、平日にこんなところにいる罪悪感を優しく?飛ばすように無邪気にそよそよと思った。
陽の当たる湖岸の足元には、「ふきのとう」がボコンボコンと春の土から飛び出している。
 
野鳥たちのさえずりの種類も増えたように思う。キツツキがコココ・・・とドラミング(木をつつく音)をこだまさせている。
同時に幾度と真空にセントーキ(戦闘機)がゴーッと轟音を響かせて飛んでゆく・・・千歳の航空基地が近いためなのだなあ。

フキノトウ

すっかり忘れていたが、やはり、あのハクセキレイ(あの鳥さんです)に、また橋の上で迎えられた・・・
 
あんまり鳥さんにもかまっていられないので、いそいそと(そこしか釣り可能な場所がない・・・)大橋のたもとへと枯れた草原を降りてゆき、先客の方たちに遠慮をしつつ、湖氷手前の開水面の湖面をめがけて、愛用のタックルでキャストを始めた。
 
午後の温かい、春うららかな陽差しを心にも浴びながら、軽いニアキス(キンクロ 6g)を風に乗せながら、ひゅんと飛ばす。
ニアキスのプロペラが淀んだ水中からキラキラと光って近づいてくるのが、偏光グラス越しに見える。
あれから一週間、この場所、このお天気、この陽差しと風と水の匂い、この体感、こうして動作することに焦がれていたのだ。
(やはり「病気」である・・・)
 
前日、屈斜路湖への遠征から帰ってきたのだという、先客であった「釣りキチ」の青年と、しばし、会話をした。
「釣れないですね」と、彼。
「釣れないねー」と、ぼく。
「昨日まで屈斜路湖に行っていたんですよ、片道6時間・・・吹雪になったので1日で止めてきました」
(この人、一体、お仕事は何をしているのだろう・・・? →きっと彼も、ぼくにそう思っていたことだろう・・・)

「屈斜路湖は氷、落ちていたかい?(融けるの意味)」と、ぼく。
「何とか2人がフライでやれる開水面があって、49cmのニジマスを一本、一日粘って何とか釣りましたよ」と、彼。
「良かったねー いいサイズだねー」
「今までの釣り歴でニジマスは3本だけなんですよ。 イトウや海アメマスの釣行では、ボウズってことはないですけどね」
「へえー、すごいねー、ラッキーボーイだねー、普通の人と逆だよねー」
「なぜか釣れないですよね、ニジマスは~」
(80cmオーバーのイトウ、60cmオーバーの”島牧村の”海アメマスを釣れば、君は十分に立派だと思うよ・・・)

「それにしても平日なのに、思ったより人が混んでいるよねー」と、ぼく。
「そうですよねー、実はギックリ腰で一週間、ぼくは仕事を休んで自宅療養中の身なんですよね、ホントウは、、、」と、彼。
(あ゛~、オレも似たようなもんだな・・・同じ鼻の穴のハナクソだな・・・)
 
かな~りの釣りキチと見た彼の左手薬指には、キラリと指輪がしっかりとあり、ぼくはちょっとだけ、うれしく思ったりした。
 
結局、この日は誰もヒットなし・・・(小さなライズを2回、見ただけ・・・)
ぼくも、上弦をやや過ぎた丸い半月がぽっかりと頭上に浮かんだ19時まで一人粘るも、ヒットなし・・・(ボウズ~悲)
 
教訓、釣りはきちんと土日の休日に行くべし!(→当然です!叱)

『自分の命からあふれ出てくるような本然のよろこびがなければ、満足できない。
 自分では知らなくても、それは心の底では当然要求されているし、
 もし、その手応えがつかめれば、健全な生活のたのしみが
 自然にあふれでてくるはずです。』
 (岡本太郎「今日の芸術」より)


『一人になりたい』 4.12 sat


 
夜霧の中、札幌方面にひどく連なる車の赤いテールランプを見ながら、夜の支笏湖(しこつこ)から帰ってきた。
今年3度目の支笏湖は、気温4度、さむい、さむかった・・・
 
この日は、ふつうに起きて、ふつうに家事をしてから、午後にゆっくりと支笏湖へとレガシィと共に向かったのだった。
というのも、夜にかけて支笏湖の深みから岸近くへ捕食のために寄ってくるブラウントラウト(サケ科)に狙いを定めていたからなのだった。(ちょっと、この時期に「舞姫」ニジマスだけを、この湖で狙うのは、ぼくには困難だと思っているから・・・負け)
 
札幌の天気は曇り空に霧雨混じり・・・風強し・・・
厳冬期登山用の下着、ダウンウェアを着込み、細身の体を大きくふくらませて、出発したのだった。
 
支笏湖へ近づくにつれ、昨年よりも春が遅く(昨年が異常に早かった)、まだ周囲の森のたたずまいは、雪の世界である。
さすが支笏洞爺国立公園だなあ、と、何だか感心したように思う。
 
やがてフロントガラスに姿を現した支笏湖は、いつもの恵庭岳も樽前山も望めないほどの濃霧と霧雨の景色である。
そして、まだ冬のような色模様である。
前日の釣りキチ青年くんの車が、有名ポイント「苔の洞門」前に置いてある。(さすが、である・・・)
彼の車を横目に流して、ぼくはまだレガシイを走らせる。この日のポイントは湖岸の、とあるポイントなのだ。
 
国道沿いには車が、7~8台ほど、すでに停まっている。
こんな冷たく寒い雨の日にも、釣り人はいるものである。(真冬の2月にもいたな・・・)

 

この日の支笏湖岸~波はなく、ただ寒い~ 16:00

早速、道路脇に車を停め、お腹の辺りににホッカイロを入れこみ、めざすポイントに向けて、森を越え、湖岸沿いに歩き出す。
しかし、(またですよう・・・)すでに、そこのためだけにやってきた、描いていたポイントに、先客の釣り人が、2人もいる。
岸近くに寄ってくるブラウントラウトは、警戒心がとても強いのである・・・。
 (昨年に見つけたそこのポイントは、やはりみなさんにも知られたところだったのですか・・・無念なり)
 
河口(インレット)へ偵察がてらに歩いてみる。
有名ポイントとあって、そのインレットには釣り人の姿、姿、ゴミ、ゴミ・・・
そこでさえ釣れていないようだ。
ライズなどの反応もなしのようである。
 
いよいよ夕暮れも近くなり、早く帰らないかなあ・・・、と思うも、なかなか先客の方たちは帰る素振りを見せてくれない。
札幌圏に近く多くの真の釣り人に愛されている支笏湖ではそれも当然、「あたりまえの真ん中」なのである。
ぼくのような、テキトーで、短時間に、ラクして釣りたいという「中途半端な釣り人」とは違うのである。
一年を通して支笏湖へと毎週のように通い続けるみなさんの情熱とその姿勢は、生半可(なまはんか)なものではない。
 
 
狙いたい時間帯の18時過ぎ、再びあのポイントに行き、先客の釣り人の方の邪魔にならないよう、岸からキャストを始める。
といっても、先客の釣り人が、あ~んなにウェーディング(湖水に立ち入ること)しているので、今日はダメだと思う・・・
それでも、岸上にしゃがみ、なるべく気配を消しつつ、キャストを繰り返す。
 
  
夜の大物のブラウントラウトには、こうしたルアーなども効果的である。
もちろん、先に紹介した商品名「WANDER(ワンダー)」なのであるが、8cmと大きく、白系や青白系色のものである。
いずれにしても、このWANDERなしでは、今のぼくには支笏湖でのルアー釣りができないほど、惚れこんでいる代物である。

WANDER(ワンダー)

結局、真っ暗になりきってしまった19時過ぎまで霧雨の中で粘るも、ダメであった・・・(続いてボウズ~悲)
ヘッドランプをつけつつ、寒々しい夜の湖岸を、とぼとぼと一人歩いて帰路についた。
 
ぼくは、強く?こう想い、わがままにも?こう願うのである。
あ゛~、一人になりた~い!

土日に、一人で伸び伸びと心地よく静かに釣りができる場所は、この札幌近郊には、ないのかあー!、と。
 
ぼくは、切実に?訴えたいのである。
うおー!(魚?)、「ボウズ」でこの週末が終わってしまったら、これから一週間、ひどくエネルギーを消耗する通勤ラッシュや酸素が薄くて人の密度濃い職場や都会の中では、小生は精神健康的に生きていけないよお・・・、と。
(ちなみに毎日の出勤でJR札幌駅を利用しているのに、オープンして1ヶ月以上経つ、JRタワーや大○に行ったことはない)
↑自慢にもならない、と素直に思います・・・
 
それならいっそのこと、札幌にはルアー釣りができる「釣り堀」があるというから、そういうところにでも行こうかなあ。。。
それって、お金で快楽を買っているということになるのでしょうか
 
でも、そこではそれ(スレているさかな)を釣るための応分の的確なテクニックや努力も、当然必要とされますよね。

野生(天然)と人工(飼育管理)の違いは、この程度の「遊び」に、要求されますかね?
こだわっているつもりもないのだけれど、こんなことで悩む自分を「つまらないなあ~」と思ったりしている一人の土曜日の夜。

『幸福になる秘訣は、快楽を得ようとひたすら努力することではなく、
  努力そのもののうちに快楽を見いだすことである。』
  (ジイド)


『虹の予感』    4.13 sun

 

日曜日の朝、目覚めると、予報どおりの「雨」である。
こんな寒々しい日に続けて冬模様の支笏湖へ行くのは寂しいし、ツライので、またポイントへと行くことにする。
やはり、「釣り堀」より、例え釣れなくても自然のフィールドの中に飛び出していった方が心地よいもんな~。
どうせ、雨なのだし・・・濡れるのは同じことだべサ。
 
朝一番で、近くの小学校の体育館へと統一地方選挙の投票のために、寄っていく。
寝ぐせのままの髪の毛、泥のついた汚い長靴姿のまま、きれいな事務のおねえさん方に見守られ、清い一票を投じる。
 
まあ、本格的な雨なのだから・・・と、ゆったり朝のFMラジオを聴きながら、通い慣れてきた直線道路をレガシィと共に走る。
この頃、お気に入りの「ロイヤルミルクティー」をチューと飲みつつ、雨に煙るモノトーン色の農村風景のたたずまいがワイパー越しに映る。
ウィーン、パシャ、ウィーン、パシャと、ワイパーは、自動的に同じ動作を繰り返す。

健気(けなげ)だなあ、と少しだけ思う。
 
そのままの雨の中、到着したポイントには、すでに20台ほどの釣り人の車である。
日曜日だから仕方ないよナ、とは思いつつも、これだけの雨なのである。気温8度。
それでも、みなさん、いるのである。
せっせとルアーやフライのロッドを振っているのである。
 
 「前日、ポイントの管理塔付近で、アメマスがバタバタと釣れたらしいっすよ」と、車中で雨止みを待っていた方が教えてくれた。
(前日、支笏湖へと行っていた自分を、「その時間に、そこにいなかったこと」を、こうして後悔するものである・・・)
 
アメマスも釣りた~い♪と、そこのポイントに行ってみるも、そこでは集中的に釣り人の方たちがフライを振っていた。
だいたい、釣り場での情報というのは、貴重だけれども、「その釣れた人だけの時間、手法、努力、そして運」に支えられての唯一の成果の「話」なのであり、それが流布(るふ)されてゆくから、しまいには真実性に怪しくなるものである。(と思うナ・・・)
 
ぼくは、やはり、あの"鳥さん"のいる大橋の、橋の下のポイントである。(→さすがにこの日はいませんでした・・・寂)
朝の雨模様を見て、はじめから決めていたのである。(→橋の下だと雨に当たらないから・・・横着です)
 
先客の2人がフライを振っているも、さかなの反応はないとのこと・・・。
それでも自分はー!と信じつつ、ルアーを始める。
が、いつの間にか、ぼくは車に戻っていた。相変わらず根気がない。ウェダー(胴付き)ごと、べちょべちょに濡れた。
余っていたロイヤルミルクティーを、一口、チューと飲んだ。
 
この湖のフィールドのことを少し頭に入れてみようと、周囲の林道を偵察がてらにレガシィと共にゆっくり走ってみた。
山裾に小さな渓流が湖へと流れ込むインレットを発見。少しだけ湖氷も融けている。

んんっ? 
見渡すと、人も、いない。
ここしかないじゃ~ん!うんうん。
 
また濡れたウェダーを履き、ランディングネット(取り込む手網)まで持ち、本格的に準備をして「やる気」を出した。
こうしたところは、やっぱりスピナー系に限るよナと、当てにならない経験値を信じ、さらにちょっと色気を出してニアキスを選び、キャストを始めた。
 
しばし、静かな時間が流れた。
鳥たちの声もしない。
お昼も過ぎた。
ロッドにもラインにも雨滴がしたたり、全身ずぶぬれネズミである。
 
 
来ましたー! ようやく13時、初ヒット!
(↑ここ、うれしそうに読んでください)
雨の日に(無理して?無茶して?)来た甲斐があったというものである。
大事に、大事に、ゆっくり、ゆっくり、取り込んださかなは、「舞姫」ニジマスちゃん

 

13:20 ニジマス 38cm

いやあ、ホントウに美しいですね、ニジマスは。。。ぼくの手のひらの上に少しだけ乗ってもらいました。(ごめんなさい)
顔つきも胸びれも、色っぽいですよねー 
君は、模範的な美しいニジマスの、アベレージサイズ(平均的な大きさ)ですねー
 
水に帰した後、さかなの香りのついた手でのタバコの一服。。。たまりません。

やっぱり水の中にさかなを入れると、「ひれや色合い」がとっ~ても透きとおるようで、きれい、きれい。
あと、もうちょっとで40cmクラスだったのに~と、欲張りなことも思いましたが、この子も、とてもきれいな子です。
この子は、これから産卵に向かうのかも知れません。どうかステキなお相手と、しっかりと神聖な産卵をしてくださいね。
バイバイ~!(もしそうなら、疲れさせちゃって、ごめんなさいね・・・)
 
う~ん、「もっと大きい舞姫よ、来い!」と、さらに欲と色気がでてくるのは、釣り人の常。
スプーンやミノーなどの大きなルアーへと交換するも、成果はダメ・・・
釣れなくなると、さっきまで感じていなかった寒さや雨に濡れている不快さが、しみてくる。
 
ポイントをかえ、ぼくもアメマスを・・・と、ポイントを移動するも、1時間半、成果なし。
本日、納竿・・・

この日のポイント
 ~まだ沖には湖氷 雨が一時止んだ15:00頃に~

1匹のニジマスに出会えたおかげで、明日からの一週間、日常の雑踏に耐えてゆけそうです。 ありがとう!
少しずつ体感してイメージできてきたこのフィールド、湖には、アメマスも、まだ大きい「舞姫」ニジマスもいることがわかってきましたのでね。(この日、50cmクラスのニジマスを見ました~ドキドキしました♪)
この水域に潜在的に息づいている「美」の結晶が、わかってきましたのでね。
こうして、次の週末に向けての「希望」が、ちゃあんと、つながりましたからね。
 
雨が上がりそうな、この日の夕方。。。
札幌への帰路では、ステキな「虹」がでてきそうな空気の匂いが、ふっとしました。

『 ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於いて文句はないのだ 』 
  (中原中也詩集「山羊の歌」の中の「いのちの声」より)


『なんか悔しい・・・』    4.19 sat
 
 
この週は、月、火、木、金曜日と飲み会が続き、釣りへの精神集中も事前勉強も、ルアーの補充さえ、できなかった・・・
土曜日の朝、ちゃんと起きるも、また「ザンザン降りの雨」である。
一体、どこの、誰の、行いが悪いのだろう・・・(?)
 
でも、この朝方に、こんな夢を見たんだよね。
霧雨の午前中、山深い林道のカーブに、ぼくはレガシーを停めていた。
幅員2mちょっとの細い林道である。幾分、標高は高いようで、ぼくはそうして南の方角、帰り道を向いて車内に、いた。
ふと、バックミラーを見ると、カーブの向こうから、「ヒグマ」がやや下を向いて林道に現れた。
こんな近くで見るのは初めてのことである。
 
確かにポイント周辺の、どこかの林道のような場所だったような気がした。
ヒグマは「神様のつかい」かも知れないもんなあ。 うんうん。
きっとこれは何かの暗示なのだろう、と迷わずにポイントへ向けて、雨降りの中をいつもの国道を走った。
 
ひどい雨の中、到着したポイントは、湖氷も完全になくなっていたけれど、釣りをする気分は萎(な)えてしまった。
釣り人の車は、この日は少なかったのだけれど。
湖面は雨の波紋で、さざ波立っているような感じなのである・・・(車から出たくない)
 
それでも、最初の橋のたもとで釣りを始めてみた。
相変わらず、ずぶ濡れ状態である。気温6度。
さかなが活性していない・・・
 
あちこち、あちこちとポイントを、雨の中、変えた。
そうして車で移動するたび、車内は湿度でガラスが曇り、シートはべちゃべちゃになってゆく。
 
午後2時頃に雨は止み、陽差しがさしてきた。
やがて、今年初めて、ウグイスのホーホケキョが聞こえてきた。なんか、うれしい。
同じく、デッデ・ポッポーと、キジバトの鳴き声も聞こえてきた。なんか、心躍る。
 
フライやルアーをしている先客の釣り人5名がいる、サイトのプールみたいなポイントで、「アメマス」をじっくりと狙うことにした。数が釣れそうな気がしたからね。


アメマス 50cm

なぜか、フライの人たちには40cmくらいのアメマスがバシャバシャと釣れてきたのに、ルアーでは釣れない。
いろいろとルアーを、あれこれ交換しても、釣れない。
しばし、ポイントを休ませても、釣れない。
なんか、悔しい・・・

もう、たぶんスレているのだ、ここのアメマスたち・・・
まだ湖氷が落ちて、2週間も経っていないのに・・・
もう、かしこくなっている・・・
また、ここのアメマスは回遊が早いのかも知れない。
なんか、悔しい・・・

この一週間で、あの「舞姫」ニジマス、それも大きなやつを見たところも、すでに水量が増えていて近づけなく、ダメだった・・・
この日こそ、50cmオーバーの「舞姫」ーっ!と、一週間、希望と夢を持って生きてきたのに・・・(大袈裟)
なんか、悔しい・・・

一週間ペースで通って観ても、この小さなポイントひとつ、フィールド相手では、うまくイカナイ。
それほど、早いのだ。春の自然の移ろい。さかなたちの暮らし方。
なんか、悔しい・・・

さらに、なついてくれていた、あの大橋のところの”鳥さん”・・・この日は、別の釣り人のところで、じゃれていた。
呼んでも、来てくれない。(→当たり前)
なんか、ひどく悔しい・・・

夕まずめ、北風が冷たくって、納竿・・・なんか悔しい一日。(ボウズ~悲)

 『今日の自分に疑問や不安を感じたら、それは、変化しなさいという心の声です 』 
  (絵本作家 葉祥明 「風にきいてごらん」より)


『風来坊』  4.20 sun

 
目覚まし時計をかけずに4:30起床。 曇り。
今日の天気予報は「晴れ」です。
前日のアメマスの件が悔しくて、そのままポイントへ。
毎回毎回、ホントウにご苦労様です、と云った感じ。
というより、こんなぼくを誰か止めて~という気分でもあります。

朝方、また夢を見ました。
どうやらぼくは顔の見えない誰かと結婚しているらしい、単身赴任で札幌へ来ているらしい、ということに気づいた。
そりゃあ、電話くらいしなきゃねーと思い、電話をすると、その顔さえ知らない嫁さんがこんなことを云う。
「テレビが壊れちゃったんだけれど、どうしたらいいかなー?」
「うちのTV持っていけば、いいっしょ? どうせオレは、ほとんど観ないんだから~」
「そうだよねー、ヤダアキコさんも知らないくらいだからね~、そうするわ~」(→ホントウに知らない・・・きれいな人なのン?)
何だか、顔が見えなくても、離れていても信頼できる安心感のある人、情、存在だった。
そういうものなのだ、夫婦というものは。・・・ちょっぴり切なくも、妙な懐かしさを覚えた心地になった。

5:30過ぎ、前日の夕方と同じポイントで、お気に入りのスプーンをチョイス。
白ピンク色のヘブン7g。早朝には効果的。(だと思う)
先客の釣り人がニジマスを釣ったらしいとのこと。いい感じである。
朝霧があがってゆく中、新鮮な空気にプチプチと光の粒がはじけ、野鳥たちのさえずりがだんだんと増えてゆく。

グオーンとジャンボ機が新千歳空港へ着陸態勢に入りながら、大きな機体の銀底を見せて真空をゆっくりと移動してゆく。
それを見上げながら、頭の中には山下達郎さんの曲「Ride on time」が流れる♪
気分は、もちろん終わってしまったTVドラマ「Good Luck!」になった。う~ん、かっちょいい~
眼にはサングラスじゃないけど、まあ、似たようなもんでしょ、偏光グラス。
でも、あの木○拓哉さんのような、さわやかに太陽を眩しそうにしかめる顔にはなれない。月とすっぽんである。
しかも、こっちは寝ぐせの髪に、泥まみれの風来坊である・・・

ゴポンと、岸からたった1mくらい前でライズ(魚が水面で捕食する行動)があった。
隣の釣り人と、静かに目を合わせ、これくらい?と両手を広げてサイズをお互いに確認しあう。
(これくらい?と30cmの両手の幅を小さく示す)
(これくらいはあったんじゃない?40cmを越えている両手の幅を示された)
俄然、やる気モードになる。ぼくは、自分でもかなり単純にできていると思う。
岸近くにトゲウオの群れが確認できるようになった。

のんのんとリーリングをしていたら、ルアーが「グンッ」と引かれた。
やった、来たっ!と思い、すばやく、さっとロッドと立てると、スゴイ大物である。
・・・どうやら、ぼくは地球を釣ってしまったようだ。根がかり(ルアーが水底の障害物などに引っかかること)である。
575円が吹き飛んだ・・・しかもお気に入りだったんだよう・・・
 
遠くで流れ落ちている水音が聞こえてきた。
風向きが変わったのでしょうねえ。
ウグイスたちが山間ごとにさえずりを競い始め、湖にもこだまする贅沢な環境。
癒されますねー!(→ただ、人多すぎ。アベックまで釣りしている・・・目にも心にも毒である)

この日の釣りは、朝9時までと決めて、集中していたんだもんね。
天気が良くなりそうだから、ふとんや洗濯をした白いシーツなどを外に干したいし、クリーニングも取りに行かなきゃならないし、ちゃちゃも久しぶりに散歩に連れて行って、春の草をあむあむとさせたいのだ。

一度、ポイントを、いつものあの大橋のたもとへとレガシィと移動。
距離をとられつつも、あの”鳥さん”に迎えてもらった。口笛を吹きつつ歩いて近づくと、また距離をとられた・・・
お兄さん(おじさんか・・・)は、悲しいよ。うんうん。

先客の釣り人が、かなりいる。
何でも、この日の朝方に金色のアメマス、それもナント、50cmクラスが釣れたのだそうだ。
きっと美しかっただろうなあ。。。見たかったなあ。。。
・・・釣れるスペースがないので、またサイトに戻る。
その間、同じルアーを使っていた人が、ニジマス(小)を1匹、釣っていた。(すでにビニル袋の中で死んだ体色をしていた・・・)
 
この日のダム、管理釣り場並みに人がいます。(初夏の支笏湖とも云うかも知れない)
水位が渇水期に比べて、3~4m以上は高くなっている様子。
湖畔の木々たちが水没している。→釣り人たちのルアーが引っかかっていますので、いつか回収できるかも?
 
なんかこの日、ぼくの行動は、みんな裏目に出たような気分。
いやあ~、土日連続ボウズです~ 悲
いい夢?は見ていたのになあ~ 悲
雪の春山へも行きたいし、釣り人の混み始めるGWまでには、これは「おしまい」にしたかったのに~ 悲
 
今年も屈斜路湖まで行かなきゃ納得しないのかなあ~
それとも朱鞠内湖(しゅまりないこ)の方が新鮮でいいかな~
などと思いつつ、10時過ぎまで頑張って、これから郊外にドライブー!という反対車線が渋滞の中、眠気とたたかいながら帰ってきたのでありました。
(下の「川の名前」、今夜は2~3回くらい思いっきりクリックしたいような気持ちです)
 
 

空知管内 由仁町(ゆに)に実在する川の名前です~悲

『行きたい所のある人、行くあてのある人、行かなければならない所のある人、
 それは幸せです。』    (石垣りん詩集の「仲間」より)



『迷える子羊』  4.26 sat


GWになった。連休の早いうちに、この企画もおしまいにしたい・・・
そんな気持ちと、休日の開放感と共に、(また?)雨の中、ポイントへと向かう。
「浜崎あゆみ」さんのCDを聴き、ロイヤルミルクティーをチューチューし、某コンビニ製のからあげ君を食べながら、すべてのゲンを担いで、いつもの道を走る。

雨降りの中、釣り人が少ないものの、もう、ぼくも、あんまり「やる気」もない。
二日酔いで、ただただ、疲れている。
橋の上に車を停め、横着にも窓からエサをつけた仕掛けを、ここぞと思うポイントへ落として、シートを倒して昼寝。

つまりは、ルアーをせずに、ただエサをつけて、いつも岸からは届かない湖の中心辺りを狙ってみただけ・・・。
すでに面倒くさがり態度の極致、まさに大名釣りである。
レガシィの屋根をポツポツと打つ雨音が心地よい。
コツンコツンと何かにウィンドウをつつかれる音がした。
あの”鳥さん”である。
 

何度も何度も、車のあちこちに留まっては、コツンコツンと突いてくる、かわいい子。
ぼくも突かれた回数だけ、天井にお代えしを指でトントンとしてあげる。(→バカ・・・)
そんなやりとりをしながら、ぽけらんと休日のただある時間を、ゆっくりと過ごした。
だけれど、実際には「つがい」になっているようで、どうも橋げた付近に巣を作っている様子・・・(→ぼくは邪魔者なのですね)

16時過ぎに、やっとアタリがあり、一匹のニジマス(小)が釣れた。
エサ釣りなので、何だかつまらないが、それでも釣れるとうれしいものである。

とても色っぽい顔と眼をしている子だなあ。元気の良い「おてんばちゃん」そうでもある。
水を入れておいたクーラーに入れて、橋のたもとへ降りてゆき、濁っている湖水へと帰した。
 
やはり、ただの湖のエサ釣りをしていても思う。
マスたちの回遊するポイントが、やっぱりちゃんとありそうである。(当たり前です)
岸から10~15m、かけあがりのところ、タナ(泳いでいる層)は水面下1.0~1.5mのよう。(→ここ大事)

どうして大きなニジマスが釣れないのか?
今、一番の大事な課題である。
(ヒグマ出没とのことで見回りに来ていた役場職員の方の情報によると、過去に72cmのニジマスも釣れたそうである)

う~ん、どうしよう・・・このままこのポイント通いを続けるべきか?
魚影は濃いのだけれど、どうもアベレージサイズが小さい。
支笏湖へ切り替えて賭けてみるべきか? 一気に屈斜路湖まで行ってみようか?

『今日という一日は、明日という日の二日分の値打ちを持っている 』
  (ベンジャミン・フランクリン)


『彼女の香りに包まれて』  4.28 mon


連休前半、いつ舞姫が湖面に舞う憧憬の屈斜路湖まで出かけようか?と、夜も寝付けず(昼寝して)過ごしている。
すでに連休になれば、札幌近郊の支笏湖も、ポイントも、ひどい人混みになってしまうだろう・・・ 
などと思っていたが、ベランダに春の花植えなどもせっせと終えたので、この日、支笏湖へとドライブがてら出かけてみた。
有名ポイントの虹鱒橋、姫鱒橋、苔の洞門、支笏トンネルと、意外といつもより釣り人が少ない。
GWなのに、なぜだろう・・・
平日だからなのだろうか・・・
いや、たぶん世の多くの水心と魚心ある男性は、家族サービスに心と時間を砕いて忙しいのだ、きっと・・・
と思うと、旅行なのだろうなあ、府県ナンバーの車なども多くなった道路で行き違う人たちが、妙にうらやましい。
相変わらず、ぼくのレガシィの助手席には釣り道具の輩(やから)である。

支笏湖は、まだ残雪の山並みと蒼く深い湖水に波が立っていた。
ぼくの立つ湖岸から、すぐそこに40cmクラスのニジマスが偏光グラス越しに悠々と泳いでいるのが見える。
だけれど、釣れない。
何をやっても見向きさえ、されない。
悲しくなる。
「見える魚は釣れない」というのは、ホントウなのかも知れないナ。
15時くらいまでその舞姫を狙うも、ダメ~
このまま夜のブラウントラウトを狙おうかと思うも、肝心の熊除け鈴とヘッドランプを忘れてきたことが発覚。
帰ろう・・・

千歳市街まで帰ったところで、数投だけでもポイントに寄っていこうと、千歳空港敷地の広がりの横を通って向かった。いつもの単なる、行き当たりばったりの気まぐれみたいなものである。
 
ポイントはすでに夕暮れ近くなっていたが、釣り人がほとんどいない。
だけれど、じっくり湖面を観察しても、ライズが見あたらない。
さかなは活性していないのだろうか。
黙って(→独りなので当たり前です)もくもくと準備をして、釣りを始める。

どうして猫の「ちゃちゃ」は、あんなにコロコロしているのだろうなあ、、、
プランターに植えたグラジオラスの球根は、一回水に浸けてから植えれば良かったよなあ、、、
などという、平和な日常のことくらいしか頭によぎらない。(お気楽、幸せ者ですね・・・)
 
そんなこんなの無心の頭でいると、何とか釣れた。
銀ピカのさかな~っ サクラマスじゃ~と思ったら、ニジマスだ!朱色がないよ~ 黒斑点のみ、きれい!
ファンデーションは使っていなくても、こんなに白く美しいのである。美白なのである。

17:35 ニジマス 44cm

ライズはなくても、さかなは活性しているよう。
まして、釣り人も周囲にいないから、気遣うこともなく、心も伸び伸び!

やがて、するどいシャープな当たりの後、グングンと底へ引き込むさかながヒット~!
バシャバシャと夕闇の湖面を舞う。
大きいっ!(かも?)
慎重に、慎重に、弓状にしなるロッドを左右に立てながら、無事にランディング(取り込み)成功。

44cmの「舞姫」ニジマスー!
さかなは10cmも違うと、その体型も重さも違~う!
すごい、すっごくきれい~、美しい~! マリア様じゃ~!
(↑ここ、とてもうれしそうに読んでください)
素晴らしい、ナチュラルであります。
こういう「舞姫」に逢いたかったのです。(もうちょっとサイズが大きい方が良いけれど・・・)
まさに美の結晶、北海道の水域の潜在力のひとつを見る思いです。

ぼくは拝みたくもなるし、頬ずりして添い寝したくなるような情念にかられるほどです。(→この辺りが変態・・・)

しばしの逢い引きの後、湖水へさよなら・・・

感動を胸にしての一服。
ひそひそと夕闇の空気に包まれてきた中、キョーンと近くの山林でエゾシカが鳴きました。
ガサガサ、移動しているようです。

夜になるにつれ、湖水に潜んでいる大物が釣れそうな予感を信じて、釣りを続ける。
だんだんと手元のライン(釣り糸)も見えなくなってきた。
 
ポイントは、支笏湖に比べて釣りやすい、どうもぼくとは、特に夕方に相性が良い。
水域が小さいし、魚影が濃いということもあるだろう。
支笏湖のような美しい湖岸や湖水、周囲の環境を望まなければ、ドロドロと水草だらけの湖岸のダムはステキな場所。
釣れる確率を考えたら、あの屈斜路湖との相性より良いかも知れないなあ。

その後、アベレージサイズのニジマスが2匹釣れるも、先ほどのマリア様にはかなわない。
やけに黒斑点の少ない個体(17:55)と、やけに眼の大きい個体(18:20)
さかな、それも同じところの同じニジマスという種類でも、美人ちゃんもいれば、おかめちゃん?もいるのである。

この日、好きな車の芳香剤、エアスペーサー(スカッシュ)の香りがしなくなるほど、彼女たちの香りに包まれて、幸せ気分でいつものホカ弁を買い寄り、帰ってきました。
そして、もちろん、あの彼女の美しい姿を眼に焼きつけ、この胸に抱えて。
どうか、そのまま「夢」に現れますように!

『 ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当に、よいところがある、と思った。
 花の美しさを見つけたのは、人間だし、花を愛するのも人間だもの 』 
   (太宰治「女生徒」より)


晩夏編

『 晩夏の大逆転? 』   8.30 sat

 

この夏も過ぎ去ろうとしている週末。
この日の朝、前日の冷たい雨をくぐり抜けた晴れの空気と光のプチプチたちに、今年の秋の訪れを感じた。
 

休日に家に閉じこもっていても何の解決や気分転換にもならないので、どうしようかなあ~と思案した結果、ぼくは
"この札幌に来た頃へ"と立ち戻ってみることにした。
そう、引っ越し早々、まだ雪残る支笏湖やらへと自分の居心地の良い自然のフィールドをうろつき探していたあの頃に-

初めての彼女を事故で亡くしていた瞬間に。
 
となると、やっぱり"一人での釣りの遊び"である。
でも、支笏湖よりもポイントの方が、ぼくには相性が良いというジンクスもこの春にできていたので、
そうだ、釣りに行こう。
 
あそこなら近いし、まあ、自然のフィールド中で居心地良く、空気も胸一杯、存分に吸えるだろう。
もちろん目下の恋人は、やはり舞姫ニジマスである。
まったくの"ニジマスバカ"だ・・・。
 
寝ているときの夢でニジマスの姿を見ると、同じようなたたずまいを持った異性に出逢えるという奇妙な?ジンクスのあるぼくにとって、ニジマスの匂いは、恋の匂いにもつながるような気がして、それが意欲のない今の日々を無意味に消化しているぼくをたまらなく惑わすようでもある。
この春のサイズ記録(44cm)を、打ち破ろうっ!
ステキな舞姫に、出逢おうっ!
 

「この晩夏の時期にも釣れるんだべか?・・・」
プラス思考になれないこの頃のぼくには、あたかも当然のように、一抹の不安がよぎりまくる。
しかし、ぼくは、ここからすべてをスタートしなくてはならないのである。
→そんな意固地になって云わなくても・・・
 
いや、そういうことにしたのである。
ましてや、舞姫ニジマスに出会えたら、きっと新しい良いこともあるだろう。
あれっ?何だか、この春にみなさんにくすくすと笑われた前半、同じような展開であることに気づく。
→それで、こうして続編にしてマス・・・
 
いいのである。
今のぼくには、成長や積み重ねなどできないのである。一旦、回帰と確認なのである。
今日できることは、明日やるのである。気持ちがへこんでいるのである。
ここから再び始め、小さな唯一の自信をつけてゆくのである。単なる"道楽の遊びの釣り"ではないのである。
(こんなことで、えばってスミマセン・・・) →[×えばる ○いばる]です

   

 


 
さて、やっとストーリーが始まります。
 
コスモスが紫陽花とヒマワリと一緒に咲いている北海道の秋の住宅街を抜け、いつもの国道を純情レガシィ君と真っ直ぐに走る。 
おっと、忘れちゃイケナイ・・・ウィーンと浜崎あゆみさんのCDをデッキに飲み込ませ、ゲンを担ぐ。

安全運転の車窓からは、冷夏を越えた稲穂たちが広がり、快晴の朝の光に青く健気にそよいでいる。
田んぼたちの正しい水平な広がりを見ると、豊かで安心した気持ちになれる。
例え、冷害で不稔の秋を迎えても、どうかその身を立てていて欲しいと願う。
道路沿いの野菜市には、カボチャなどの秋の野菜たちも並びはじめているようだ。
 
 
目的地に到着すると、あ~れ~っと、驚いた。
水位があまりにも低い。この夏の渇水のせいかな。
例年そうなのかな。春より3~4mは、低い。
いつもの大橋まで行ってみると、春のポイントだったところは、まるで畑のように平坦な陸と化している。
自分が春に釣っていたポイントの地形が、よくわかる。 たしかに、あそこじゃ釣れなかったわけだ・・・

あら、それと、意外にも釣り人の姿が少ない。
車4~5台程度、それもサイトのみである。
みんな"チビアメ"(この時期までによく釣れる小さなアメマス)が釣れる支笏湖へと行っているのだろうか・・・
ニナル川付近の湖岸ではニジマスも好調のようだし。

先客の釣り人の方と少し情報交換をする。
「毎年、夏でも釣れなくなってきているねえ。今朝はエサ釣りの人が数匹釣っていたよ」、とのこと。
 
話は、少しそれますが、、、
この農業用水確保のために造られたポイントには、もともとニジマスもブラウントラウトもいなかったはずである。
(アメマスやヤマメ"ダムによる降湖型サクラマスの出現も含め"は、在来していたものと思われるが・・・)
何でも訊くところによると、過去に数度、釣り具屋さんだか釣り人だか不明だが、せっせと放流したのだそうだ。

この外来魚の放流云々については、ここでは論じないが、このポイントが釣れなくなっている理由は想像できる。
きちんとデータをとっていない安易で軽率な一般人の発言ですが、どうぞ、ご容赦ください。
まして、まだ1年も通っていないフィールドに偉そうなことを云える立場でも当然ナシ・・・それでも、一応、、、

・継続的な放流を行っていない。(もちろん漁業者もいない、また継続放流する意義やその経費負担の問題もあり)
・釣り人によるさかなへのプレッシャー(持ち帰る、痛める等)による減少。
・何よりこのダム湖に流入する河川は少なく、産卵可能な川は目視確認では1本のみ。その川にはこのダム機能
 維持のための砂防ダム(魚道ナシ)があり、産卵可能区間は、ダム湖から上流たかだか約200m程である。
 つまり、さかなが自然界として再生産できうる環境要因、その容量(キャパシティ)が少ないと思われるのである。
  →春のニジマス産卵時期に目視確認済み。秋にはアメマスの産卵も確認しておきたい。
・水域としてのエサの量や水温といった環境的な容量(キャパシティ)の基礎的な問題。
 
では、人として誰が、この水域のさかなの命やつながりを考えてゆけばいいのだろうか・・・とても不安である。
ダメじゃ~っ・・・小難しい理屈をこねているバヤイではない我が身である。

 「あたま」を、静養しよう。


簡単な会話を心地よく終え、違うポイントへ向かおうとレガシィで、林道をじゃりじゃり移動する。
朝の小鳥たちのさえずりが心地よく、さわやかである。
 
ここがいいかなあ~と、車を停めようとしたところの取り付けの地先には、看板が立っていた。
「立入禁止 堀」と、書いてある。(最初はそうだったのダ・・・)
たぶん、堀さんという方が所有する土地(現況は雑木林)なんでしょうね。当然のことですねえ。
しか~し、その看板の印字にプラスして、こういうイタズラ書き(6文字)をしているバカがいた。
立入禁止 ここは釣です」
入漁料や漁業規制さえないこの水域のフィールドで楽しい釣りをさせてもらっているのに、何をバカなことを書いているんじゃ・・・!
世の中、謙虚さや道徳を知らん奴が多すぎるっ!
同じ釣り人らしいとも想像してしまうと、さらに余計に腹立たしく、悲しくなってくる。
 
はっ、また、イケナイ・・・、ただいま、わたくし平穏にしなくてはイケナイ・・・

さて、「こころ」を一心にしてと。
少しだけ迷ったあげく一人になりたいと、サイト近くの入り江付近へと一式担いで、ガサガサと草の匂いをかきわけつつ、下りていった。
スィーっと湖面を、宝石のようなブルー色のカワセミ(鳥さん)♂が、定規をひいたように真っ直ぐ飛んでいった。
ここにもいるんだなあ。。。
何だか、きちんとした意味も云えないけれど、うれしいものだなあ。。。

な、なにを~っ! この散乱したゴミたちは~っ!(怒)
コンビニ弁当の空き箱、ペットボトル、テグス(ライン:釣り糸)、針、エサやお菓子の空箱、タバコの吸殻etc・・・

はっ、またまたイケナイ・・・、ただいま、わたくし、「こころ」を冷静にしなくてはイケナイ・・・
イライラしちゃあ、イケマセンよう。
ぼくが、快くそれらを拾って帰れば、済む話ではないですかあ~♪
あの支笏湖の広大な美しい湖岸にある、ゾッとするようなゴミたちの量を前にしているわけではないのですから。
ハイ、落ち着いて、落ち着いてね~!→単に自分に言いきかせてる

腕にとまるトンボ

さて、ハイっ!、「こころ」を、ニュートラルに戻して、と。

相変わらず、このポイントは淀んだ泥水だなあ。
長靴だけ履いて湖岸へ下りてから、この時期のチャレンジは初めてなのでルアーの選択に、しばし迷う。
さらに一夏を越えて、きっと、さかなちゃんたちはスレているだろうしなあ・・・う~ん。。。
結局、まずは基本系のスプーンにした。

少しだけ波があって、枯れた立木の多い、偏光レンズ越しにきらめく湖面に向かって、キャストを始める。
久しぶりに握ったよナ、君。
やっぱり、相変わらず、いい感じだね、君。
我が愛するロッド、しなやかなファントム[釣り竿の製品名]である。

ヒュン(ルアーをキャストした音)、ポチョン(ルアーの着水した音)
ジリジリ(リールを巻く音)、ジリジリ(またリールを巻く音)

・・・やがて、こんな手首と腕の運動を繰り返している自分が、やはり哀しくなってくる。
家でゴロゴロと横になっていた方が良かったかも・・・と、だらしなく思う。

30分くらいもすると、疲れてしまい、とうとう飽きてしまった。
ファントムを大事に立木へと、そっと立てかけた。
折りたたみマットに座り、ポケットに入れていてくしゃくしゃになった煙草に火をつける。
うまいなあ。。。
こんなところで、こうして身を紫煙に全うされるなんて、君は贅沢なマイル○セブンだよ、うん。

 "午○の紅茶・純水ミルクティー"をキュルリと開ける。
うへえ、ポケラ~ンとしてきた。

ぼくは今の自分が感じることを一つひとつ、太陽の下で手帳を広げては、文字として綴ってゆく。
こうして風を感じたり、そこから心情の移り変わりといったものを、言葉にしては、そよそよと確認してみる。

少し、疲れはでても、自分の内をじっと見つめないでいられるので、「こころ」には良いことである。うんうん。
やっぱり、釣りは、いいものだね。
眼に映るものすべてが自分の世界だものね。 
誰にも邪魔されないものね。
こうして、さかなと語り、水と戯(たわむ)れられるのだもの。
→まだ、この日、さかなと語ってないくせに・・・


太陽の下で眼を閉じると、眩しく真っ赤な光景だけがしみてくる。
眼底の血管を走る血なんだよな、これって。 あ~生きているんだなあ。
じりじりと日焼けしてくる気がする。
湖面と緑を渡ってくる風が頬を優しく撫でてゆき、ぼくの髪の毛で遊んでゆく。


それにしても、空がきれいね。 雲がきれいね。
ホント、きれいね、うん。
秋の雲たちは、絹のようで、優しい肌ざわりのように感じるね。
なんだか、見渡す空の雲も、ゆっくり行くね~と、スローな「こころ」のぼくに合わせて、スローに流れてくれている。
湖面に緑を映す森たちの向こうに、これから訪れる秋が高いところから広がってくるんだ。

キーン・・・と、戦闘機が飛んでゆく。
グオーン・・・と、ジャンボ機も飛んでゆく。
ぼくの頭もとばないか・・・と、少し心配になる。

ブーン・・・と、羽虫が耳元を通過して飛んでゆく。
カサカサ・・・と、オサムシが荷物のところへやって来た。デコピンで跳ばす。

何と云っても、まあまあ、どうしてそこまで数がいるのか、わらわらと赤トンボ(アキアカネ)が飛び交っている。
休めているロッドのてっぺんに、赤トンボが留まってくれた。 なぜかホッとする。

そのとき、きちんと体育座りをしていたぼくの腕にも留まってくれたりした物好きな一匹もいた。
何やら前足で、眼を撫でまわしたり、ぼくの薄い腕の毛を手入れしてくれている。
なんか、うれしい。くすっぐたいよう。→春の、あの鳥さんのときと同じ気持ちデス♪

トンボの複眼と単眼という仕組みが、子供の頃には、よくわからなかった。 
いや、正直に云うと、今もわかっていない・・・うん。
そんなことより、子供の頃に、トンボの眼の前を指でぐるぐる、ぐるぐるしていたときに、ポロリと頭がとれてしまった
時のことを今でも覚えている。 あまりにも怖かった出来事だったので、あれからは、しないようにしている。

さて、よっこいしょ・・・と、立ち上がると、陽差しのせいなのか、疲れなのか、フラっとめまいを覚える。
また気晴らしに、思いだしたかのようにキャストを始めてみた。

ヒュン(ルアーをキャストした音)、ポチョン(ルアーの着水した音)
ジリジリ(リールを巻く音)、ジリジリ(またリールを巻く音)
これの繰り返し・・・


ゴン、ゴン、ゴン!

ようやく11時過ぎ、強烈なアタリがきた!ゴン、ゴン、ゴン!である。→ここ興奮して読んでくださいませ
いつものグッ、ガツンどころではない。
ファントムが根元からグニャリと曲がったのを初めて見たし、リールが悲鳴を上げたのも初めて聞いた。
ファントムは弓状どころか針金ハンガーのようになっちゃってるし、ぼくの腕もファントムを立てられない。

リールは、「チーフ!ダメです!手に負えません!」と、ジーーーーッと、どんどんと逆回転している。
ああ・・・、ラインまでもが、「ワタシ、もうダメ、ダメ・・・」と、悲しくヒューン、ヒューンと泣いている・・・
さかなは、ぐんぐん発射した魚雷のように沖へと突進して潜ってゆく。

ラインが切れるっ! 間に合わないっ!
さらにあわててドラッグをキリキリゆるめる。

はっ? バレた・・・
はっ? ルアーもない・・・? 2号ラインを切られた・・・? 一体、何者だったのだ?

ぼくの細い体内に駆け抜けたアドレナリンが、時間と共に終息していった・・・
この遊びの釣りも「こころ」に悪いときがある。
でも、その興奮の瞬間が「釣りの醍醐味」なのに、ぼくは支離滅裂な遊びをしているナ。。。



また、休憩モードにする。
それにしても、さっきのさかなは何だったんだろう・・・と、そのさかなを想いながら、おにぎりをひとつ頬ばった。
遠くから風に乗って正午のサイレンの音が聞こえた。

それから、ゴミ袋を持って、うろうろと周囲のゴミたちを拾いはじめた。
すると、短いライン(テグス:釣り糸)から、タバコの吸い殻(フィルター)まで、細々、細々と徹底的にきれいにしなくては気が済まなくなってきた。
イヤな性分である・・・。

ブラウントラウト 43cm

午後になると、風がフト、止まった。
誰かがどこかでリモコン操作をしているような錯覚さえ感じるから不思議だ。

「えーっと、風は、このボタンだよね、オフね、オフ」
→こういうふうに感じる、ぼくの方が不思議だわ・・・

風のリモコン操作のおかげで、湖面の波がなくなり、きらめきをなくして、鏡のような水面になっていった。
ブーン・・・と、耳元に聞こえる羽虫たちが多くなったような気がした。
大きくて黒い優雅なミヤマカラスアゲハが湖面の上を、ひらりひらりと渡ってきた。



やがて、向こう岸近くの水面で"ゴポン"とライズが見られてきた。 んんっ? ん?

ゴボッ、バシャバシャ!
バシャバシャーッ!
 
何やらデカイさかなが、水面に落ちたトンボたちだろうを暴れるように捕食している光景の様子である。
それも、岸から数十cm程度の浅瀬で・・・
ひどい展開の光景だ。。。ゴジラが街を襲って火を吹いているようなものである。

しかし、振り返ってみると、その"さかな釣り"に来ているのだよ、我は。。。

どうせ届かないしナ・・・なんて、最近よくある弱気モードでいると、足元の岸でも二度も連続してライズをされた。
 
40cmクラスの太ったヤツである。・・・なんか悔しい。
そこまで見せつけてくれなくてもいいじゃんかっ・・・

早速、ところどころ頭が単純にできているぼくは、トンボを捕まえてエサにし、浮かせ釣りに転換してみた。
ただ、針をつけたトンボが水面をパタパタと波紋を広げて漂っているのを、ただ眺めている時間の流れ方である。



蒼白いシオカラトンボが、スィーっと、せわしなく、留まることなく、ジグザグに飛んでいる。
大きいトンボの方が良かったかなあ。
ビューン・・・と、ミクロな戦闘機のように大きなヤンマも、おらおらっ!と、パトロール体制で勇ましく飛んでいる。
ミサイルでも搭載しているんじゃないかと思うね。
あのヤンマは、捕れないよナ、さすがに・・・

まあ、このはかなくも愛しい赤トンボで、がんばろう。
エサにした赤トンボは、ゆっくりと湖面に流され、時折、良い具合にパタパタと波紋をつくってくれる。
あんな沖のところまで流れていったなあ。
お~い! →手を口に添えて、声をかけたい気分である
 


・・・飽き性で根気がなく、せっかちなぼくには、こんな"待ち状態"の釣りは、非常にツライ。

また、ルアーに切り替える。
リーリング(リールを巻くこと)すると、水中で音の出るというプラグ(魚型のルアー)を初めて使ってみた。

ヒュン(ルアーをキャストした音)、ポチョン(ルアーの着水した音)
ジリジリ(リールを巻く音)、ジリジリ(またリールを巻く音)。
ただ、これの熱心な繰り返し。。。
 


オーアォー、オーアー・・・
突然、山の方からまるで赤ん坊の泣き声のような薄気味悪い声がした。
オーアー、アオアオ・・・
・・・アオバトさんだ。
もう少し鳥さんらしく、かわいく鳴いて欲しいものだよ。



また、休憩。
寝ころんで、ぬるくなった、さっきの飲み物をゴクリと飲む。
ジッ、ジッ、ガリ、ガリ・・・8年も愛用してきているジッポライターのオイルが切れたようである。
ごそごそあちこちの荷物を探すと、ウェストバックの中から100円ライターを発見!→小さなしあわせ

この太陽が眩しい。
手のひらをかざして、太陽にあててみた。
秋空をステージに、ぼくの薬指にも輝くリングができた。
うれしいような、ロマンティックなような、哀しいような、ひどく孤独バカなような・・・

手のひらを太陽にー

だんだんと陽が翳(かげ)ってきた。 
斜陽の時間だ。
釣りには良い時間帯の「夕まずめ」に、ときは近づいてゆく。
でも、秋空の陽の翳(かげ)りというのは、少し寂しくて、「こころ」にすきま風が吹いてきて、切なさをそろりと置いてゆくようで、魔法をかけられるようだ。



さてと、"夕まずめ"くらい、そろそろ本腰を入れて、釣りをしますか。→ホントだよ、とほほ
湖面は凪(なぎ)、湖面を漂う虫たちを捕食するマスたちのライズがあちこちで見られるようになってきた。
いい感じだ。
このままで行こう。
ほらっ、今日一日の空と雲と光の時間たちも、あんなに美しく最後を飾ろうと彩られてきたではないか。

ガツン!(アタリの感触)
ビューン!(ロッドとラインが引き込まれる感触)

ほいっ、来ましたよーーっ!→ここ、うれしそうに読んでくださいませ
力強くもシャープな引き込みの後、いきなり、エラ洗い(針を外そうと湖面に舞うこと)を一発される!
あ、待望のニジマスだあーっ!
さ~っすが、舞姫である。
この瞬間が、たまらないのである。
弾力的にそのからだを魅惑的にしならせながら、湖面に跳んで反転する姿・・・まさに舞姫である。
やはり、冬を越した直後の早春とは違い、このシーズンは、舞姫には体力とパワーがある。
ランディングネットで無事に取り込み成功~!

この娘はなんて云うのかな、正統派のスレンダー美少女って感じで、企業CMで使えそうな好印象だね♪
眼もくりっとしていて、胸びれが、とってもスラッとしていて、きれい♪
由緒正しくて育ちが良く、どちらかというと癒し系、そして、ちゃんと芯のある娘のようだね。
春のサイズ記録には、少し届かず・・・少しだけ残念かな。でも、いいやい。
(10枚ほど撮影したけれど、なかなか良い写真が撮れませんでした・・・ごめんなさいね)

16:40 ニジマス 42cm

やがて、17時を過ぎた夕景の時間。
光線が、より神々しく変化してゆきます。
一瞬だけ、ぼくたちすべての世界は、黄金色の光景へと染められてゆきます。
木々の葉も草も、湖面も、枯れ木や泥たちさえも、みんなが一緒に黄金色に包まれる時間が訪れるのです。
それは、雨上がりに射す光の階段が現れるときのような、すべての生死そのものが美しいもの"そのもの"です。
ことを無言で示してくれているような、そんな"絶対的で平等な愛"が降り注ぐような錯覚に感じられるほどです。

この夕景の湖面に舞ったニジマスの姿と残り香が心地よいほどに、ぼくを陶酔させてくれます。
昨日までもあったであろう、明日からもあるであろう、この一日という時間に、ぼくが"ぼく"を感じられたこと。
朝陽から夕陽までの間、ぼくを照らしつづけ、温めつづけてくれた、偉大なる太陽からの光の粒のチカラたち。

 

ただ流れるままにかたちを変え、その白さを濃くも淡くも表現していた雲たちの移ろい。
それを余すことなく彩り支えた、より高くなった、より蒼くなった、このどこまでも深い空。

そよそよと頬を撫でてくれ、髪で遊んでいってくれた、この地へ渡ってきた陽気で無邪気な風たち。

ぼくの周りで、たくさんとこの眼に見せ、たくさんとこの耳に聴かせてくれた、小さくも、はかない無数の命たち。

ぼくは、そうした空と雲と光と、この地すべてのきらめきと造形と共に一日という時間を終えました。

フツウのこんな一日、誰にでもある些細な一日なのかも知れませんね。

そんな、こんな一日、誰にでもできる簡単な一日の過ごし方なのかも知れませんね。

たかが、こんな一日、やっぱり、単なる独りよがりな道楽行為に映るのかも知れませんね。

されど、こんな一日、今のカゲロウのようなぼくにとって、表現するのには、まだ言葉が足りないのです。

『楽しいことがいっぱいあるだろう。
  悲しいこともいっぱいあるだろう。
  でも、生きることを嫌いにはならないだろう。
  なぜならば、嫌うにはあまりにも、素晴らしいことが多すぎる。
  人は、みんな、ちょっとヘンで、ちょっとおもしろい。
  そのおもしろさを見ているだけでも、
 人生という時間はたりないくらいだ。』
              (銀色夏生 「ひょうたんから空」より)

さくらの頃に逢いましょう(完)