笑ってよオンネ

正月山行、知床・遠音別岳をめざす人間讃歌


情報

2002年1月1日~3日

パーティ:山岳会6名


 正月-それは
勤め人にとっては癒しの休暇であり、社会人の岳人にとっては大きな山行のできる貴重な時間である。


 知床-めざすは
 遠音別岳(オンネベツダケ:1,331m)
知床半島の中でも中堅峰として、その姿はオホ-ツク網走からも一際その北西斜面を白く輝かせる一方、その頂上付近から知西別岳(知床峠方面)へは急峻な稜線を持っており、中でも羅臼側には約300mに及ぶ切れ落ちた一大東壁を抱えている魅力的な山岳である。
 もちろん夏季に登山道はなく、知床国立公園内でも原生自然環境保全地域に指定されている秘境の地の静かなる山であり、羅臼側には大小6つ以上の沼が点在しているといわれ、野生動物や野鳥たちの豊かな楽園でもあろう。

 この遠音別岳、地元岳人からは「オンネ」の名で親しまれている。


 2002年正月 我々の山岳会は、この「オンネ」をめざすのだ
こんな正月を過ごしている人たちも実際に「いる」のである・・・。


 平地のこの時期の一般的な気温が-5度だとすると、単純計算で頂上付近では-13度。
さらに実際は猛烈な北西風の風速があるため、10m/sとして体感温度は-23度の世界となる。
というのは実際大袈裟のようだが、理論上ではそうなってしまうのだから悲しい・・・
 そしてBC(ベースキャンプ)までは軽量化しても20kg前後の装備を背負った山スキーでの行動となる。


 ・・・想えば、このオンネには、冬季積雪期に一体何回通ったことだろう。
(冬季知西別岳”通称ペレケ”、冬季斜里岳にはかなわないものの・・・)
 実は20才の頃に同じく正月山行でウトロ側から登り、吹雪の中を頂上に1度だけ立てたことがある。
このときは偵察隊行動(ルート工作)を含め4日間を費やした。

 今回めざすルートは21才の頃から何回か通い(途中まで)、近年はさらに先輩会員の方たちが精力的に偵察調査を行ってきている想い深き、熱き憧憬の羅臼側からのルートである。

20才の頃に登頂したときの一枚

しかし、なかなか ぼくたちに姿を見せて笑ってくれないのである。

このオンネ・・・


 今回の参加メンバーは、現在の会員の現役オールスターである。

年齢順に、 我が会の創設者で豆腐屋を営むE会長、同じく会を設立した北海道開発局のS氏、北海道庁職員のK氏、漁師町で床屋を営むN氏、北海道庁職員のF氏と、ぼくの計6名
 リーダーは、F氏である。
メンバーは広い北海道各地、遠くは函館や室蘭からもやってくる。
 メンバーの平均年齢は48才。

知床の冬山には精通している方たちばかりだ。

 まず羅臼町春日地区より春苅古丹川(シュンカリコタン川)沿いに車で少し進み、さけますふ化場に着く。
ここから先の林道は除雪がされていないため、ここからが登山開始となる。
約4kmのややアップダウンのある林道を歩くと緑栄橋があり、林道はここで二股の分岐となる。
真っ直ぐ進めば地図上の大谷川方面へと向かうが、ここで右折し、地図記載されている春苅古丹川方向へと辿る。この辺りでも標高は、まだ137m程度である。
 その緑栄橋の分岐から約500mほど林道を進んだところから左へ降りて橋を渡り、森林帯の斜面へと取り付く。
国土地理院地図記載上のP242mをめざし、P345mの台地の森林帯がBC(ベースキャンプ)の予定。
初日はBC設営地点まで、9:00~15:00の6時間行動を予定。今の時期、日没は早い。

 アタックは、P669mの急斜面の右側をトラバースし、アップダウンの多いP706m、P746mを巻きながらP966mをめざし、オンネの北西斜面の南側端へと取り付き、1,331mの頂上へ行く。
アタック(頂上往復)は、余裕を持って6:00~17:00の11時間行動の予定。

 片道の地図上直線距離で約12kmというのが、今回のルートの概要である。

P450m付近から見た頂上までのルート図(2001.3撮影)

天気(視界があり、風がない)、山スキーを使用できる積雪状況に恵まれ、メンバーの体調も良く、今回、ぼくたちに 果たしてオンネは姿を見せて、笑ってくれるのだろうか

あ~山の女神さま!
高尚なシマフクロウが静寂で厳寒な夜に舞うその懐に抱かせていただき、心に残る山行をさせて下さい。

  乞うご期待を!


大晦日前日-それはきっと・・・
 たいていの人たちにとって新年を迎えるための慌ただしさから解放され、ようやくゆったりとした心持ちになり、そしてたいてい、外のお天気も穏やかなものである。
(と思っている・・・例年下界にいないので感覚がワカラナイ)


 再会-織り姫と彦星のように・・・
12月30日、個人装備の準備も整え、網走の山岳会の会長宅で、これから到着するだろう諸先輩の
方たちと「やあやあ」と再会するため、そのまま会長宅でTVをのんびり観ながら待ち過ごしていた。

 山岳会設立後30余年を経過する我が会は、正月山行の前日には油揚げくさい豆腐屋の工場で各人の共同装備を秤を用いて丁寧に厳しく分担していたという熱き活動時代の歴史があったらしい。
 しかし、ぼくが会に入った頃には、たいていみなの再会を祝し、おいしい湯豆腐を肴に酒宴となってゆくというのが正月山行前の楽しい恒例行事となっていた。(下山後は安着祝いになる)
そうした人に包まれながら冬山の原体験を経験したぼくにとっては、それが心地よいひとときなのである。

 会長宅でTVを観ていたぼくの眼に映ったニュースに、函館市を朝5時に出発してきたというS氏と途中から相乗りしてきたK氏がようやく到着した19時、「網走西部 暴風雪警報」の文字が、ちょうどTV画面に見えてしまった。
外はナマ温かい低気圧接近に伴う空気で満ちていて、降雪が少々チラついていた。

 瞬間、再会の祝宴は知床の向こうへ飛び去ってしまい、ぼくは防災の勤務をするために職場への帰路についた。




 この話、なんだか、「夕景をさがしに」と同じような展開になってきたところが、悲しくも、滑稽である。
実は2001年正月山行の「大雪山三国峠~ユニ石狩岳」も暴風雪警報の悪天で計画を中途断念した・・・
今年も低気圧は、そんなことも素知らぬ感じで、976ヘクトパスカルと超大型に発達中なのである。
こんな感じになっている。とんでもない奴↓

たいていこのような位置、規模の低気圧が過ぎ去った後というのは、西高東低の冬型の気圧配置と
なり、知床では猛烈な北西の季節風と風雪に見舞われる

 今回はまだ大陸からの大きな高気圧が張り出していない分、マシな方であろう。
翌日にはオホーツク海側の平地では天気が回復していくだろう。

しかし、平地は穏やかでも山では悪天は残るもの。
山では標高が高い分、「平地より先に天気が動き、その天気が残る」ものである。


 余談だが少し、冬季知床の気象のお話。。。
 ちなみに冬季知床での気象で、もっともひどいパターンは、低気圧が発達しながら根室の横を通過し、千島列島へ抜ける場合、さらに最もひどいパターンは日本海と三陸沖から北海道をまたいで通過していく二つ玉低気圧である。
こんなときは、知床の稜線上では「石が宙を飛び、風雪にテントはポールが折れ、潰される」という・・・。

 ぼくが最もキツかったのは、25才の頃の正月山行「知床峠~羅臼岳~硫黄山」縦走時であったと思う。
その時、冬季知床を経験し8年目にして、まさしく「シレトコの風」の洗礼を受けた感じがした。
いつもの知床峠(冬季通行止め 標高738m)で、立てなかった・・・。
峠道路の氷雪の上で、背負っていた重荷と共に転がりつづけた・・・。
悔しかったし、仕方なかったし・・・その自然の猛威の前にはどうしようもなかった。



 さて、おそらく読者のみなさんのもっともな関心事。。。
なして正月にわざわざ冬山サ、行くのサ?
・・・について、少しだけ、かいつまんでご説明を。
(岳人それぞれによって違うと思いますが・・・ご了承ください)
ちなみに、ご来光を拝むために行くわけではありませんので、念のため・・・(ただ休暇が長いだけ)

 まず、きれいである。
雪と岩と氷だけの世界で、生き物の息吹が感じられず無生物的な静寂さがある。
(もちろん、北海道の山で心配なヒグマもいない、蚊やブヨもいない、さらにぼくのキライなヘビもいない)

 そして、自由である。
登山道もなく、尾根や稜線など、より近く安全だと思うルートを見つけていける。
(もちろん、雪崩への慎重な判断・回避、登行に適した斜度を見極めていくこと等が必要となる)

 さらに、食糧の保存がきく。
夏だと献立に難しい精肉類なども可であり、プリンなどは作ってテントの外の雪上に置くだけで、あっという間に出来上がる♪ (ビールはいつでもギンギンの飲み頃に冷えている)
 しかし、冬山登山の場合には、装備軽量化の面からもそんな贅沢はできず、乾燥米などを主体にし、また、できるだけ水使用の少ない調理方法を行うのが常である。


 

 さて、日が明けた31日。。。そのまま職場で朝を迎えた。
 大晦日なのだなあ。 
職場から望める藻琴山は穏やかに晴れてきそうだが、風は強い・・・
まだ暴風雪警報は発令中
30日夜、札幌市では最大瞬間風速34.4m/sを記録したらしい(観測史上2番目)

 低気圧は北海道を通過し、さらに発達中・・・しかも停滞気味
 こんな感じになったりしている・・・↓

 

あのとき、網走にちょうど到着し、勤務のために帰るぼくと入れ違ったK氏は、さみしそうに・・・
ひっそり、「明日(網走での山行前または下山後のK氏の恒例行動)、ワカサギ釣りはダメだなあ・・・」
と言っていた。

 さらに、同じくS氏は、外の暗闇の中で詳細な表情は見えなかったが・・・
ぼそっと、「こりゃあ、(網走市から羅臼町へと向かう国道244号線の)根北峠も通行止めだな・・・」
と言っていた。
→ホントに31日9:00現在、根北峠は通行止め・・・しかも、知床羅臼町では1500世帯が停電・・・

 北海道防災行政ネットワークの一斉指令通話が始まり、言われるように「そのままの状態」で待つ。
 ようやく 31日 9:50、「暴風雪・波浪警報 解除」

 とりあえず勤務は終了。
天気は晴れていても、突風を伴った風がビュンビュンしている。
 とにかく眠たい目をこすり、ぽかんとした頭を回転させて、最後の山行準備!



 
 恒例の?装備紹介(個人装備分のみです)

▼65㍑ザック
(底部からパッキング順に)
①羽毛シュラフ(寝袋)、ゴアテックスシュラフカバー、エアマット、ツェルト(非常用テント)
②ラジオ、天気図用紙、医薬品一式、ピンチパック(応急工具・緊急用品等)、食器、ロウソク、
  バーボン300ml
③予備手袋、予備靴下、ゴーグル、目出帽(ネックゲイター付)・ゴアテックス登攀用オーバーグローブ
④アマチュア無線144/430MHz
⑤行動食(大福餅・サラミ・チーズ・チョコレ-トなど)、ビール500ml1本、つまみ、新聞紙、水1.5㍑
  ※ビールをもう1本追加しようかまだ悩んでいたりする・・・
(ザック上ぶた部分)
スキーアイゼン、シュリンゲ(細引き)、行動食(1日分)、レモン水500ml、トイレットペーパー、
ヘッドランプ・ゴミ袋・ゴムバンド
▼ウェストバック2㍑
地図・コンパス・メモ帳・ナイフ・デジカメ・携帯電話・予備電池・標識用赤テープ・ティッシュ・ホイッスル・タバコ・ライター・灰皿・使い捨てカイロ
▼ザックくくりつけ
アイゼン(ワンタッチ式)、ピッケル(55cmサイズ)、カラビナ2ヶ、シュリンゲ
▼衣類等
下着上下~ZEROPOINT(モンベル)極寒地用 ポリエステル100%
上シャツ ~ウール混合
下ジャージ~一般的なもの
上着   ~フリース NORTHFACE(POLARTEC) ポリエステル100%
靴下   ~厚手ウール100%
手袋   ~フリース生地 ポリエステル100%
外着   ~NORTHFACE(アルパインジャケット・アルパインパンツ)ゴアテックス
スパッツ ~ゴアテックス ロング
その他、防水腕時計など
▼スキー等
登山靴  ~二重式プラスティックブーツ (Koflach)
スキー  ~ゲレンデ用レディース改造 165cm
ストック  ~伸縮式ICIオリジナル
シール  ~ワンタッチ式 化学繊維  


今、31日夜、風も止み、空には大きな月が雪の街を照らしています。
明日1月1日未明に出発します。


新年1月3日に下山予定です。
みなさんも心に残るゆっくりとしたお正月をお過ごしください。


 

ガショー!-それは
我が会のK氏の恒例の年賀の挨拶である。ガショー!ガショー!と繰り返し元気良く続く。
正月1月1日、我々に、根北峠を過ぎたあたりからまぶしいほどの大きな生まれたての太陽・初日の出が羅臼町に向かう車中のフロントガラスから光一杯に包んでくれた。
快晴である。意気揚々である。


 登山開始-8:30 
ふ化場の先に車を止め、登山靴を履き、スパッツをつけ、ザックの荷造りをし、スキーをつけて歩きだす。

下が背負うメインザックと、山スキー(表と裏)。

エゾシカたちが白いお尻を重たそうにしながら、ピョンピョンと雪の中をこいで逃げていく。
こちらは何もしないのに、やはり野生なのだな・・・と思う。
 穏やかな冬の林道を歩いていく。
行く先の直線が望めるたびに気持ちは重たくなるが、快調であり、やはり天気に恵まれた分、心地よい汗である。左下には春苅古丹川が雪と氷に包まれて静かにたたずんでいる。

 林道は、昨日までの大荒れの天気により折れて飛ばされた小枝が舞い散っている。
それでも、降雪と風による冷え込みからクラストして、ラッセル(雪をこぐこと)もない状況である。

林道はどこまでも続く気がする

ガハハ!-休憩時には大きな笑い声がこだまする。
たいてい(イヤミのない?)下ネタが話題なのだが・・・
何十年もつきあってきている先輩方は、気心も知れ、ホントウに楽しそうであり、この山行の人間讃歌を大満喫している。


林道分岐地点-10:00
S氏が少し遅れ気味になっているが、もともと「ゆっくり派」らしい。
カメラの三脚を忘れてきたことを後悔している。(5~6kgの重さがあるらしい・・・テント2張分の重量だわ~)
 ここから進路を右の林道へと進む。
約500mほど進んだところ地点で、ようやく オンネが姿を現し、笑って迎えてくれた

 

ここから林道を左の小道に降りていき、春苅古丹川の橋を渡り、植樹育林作業に使っている林道を利用し、そして道なき森林帯へと入っていく。
 下山時にルートを見失わないように定期的に標識テープ(赤・紙)を樹枝につけていく。
登山道のない冬山ではこうした動作も必要となり、森林限界を超えた高所では赤布のルート旗を用いる。
 トドマツなどの樹木にはコケの一種「サルオガセ」がトロロ昆布のようにぶらさがっている。
サルオガセがある地帯は、たいてい風も弱く霧の発生しやすい森林環境ということが言われている。

 

その緩やかな台地上の森林帯を抜けると、ポッカリとした広い雪原に飛び出た。
地図上ではP290mあたりである。
 時間はまだ12:00。
時空の経過がとても不思議な流れ方をしている錯覚にとらわれる。
この広い雪原にも大荒れの天気による風雪がなめるように襲っていたのであろう。雪面は固い。
 雪原の中にボツネンとまとまっている、ステキなトドマツの木立たちを見つけた。

雪原を抜けて、再び森林帯へと入っていく。


 BC設営-12:30
 340m地点の小沢の源頭地に到着した。
ゆっくりと到着したS氏は、みなの期待通りに「まだ歩き足りないナ」とつぶやいた。

 まずはスキーを外し、設営地の雪面を登山靴を履いたままで踏みつける作業を行う。
みなでスクラムを組み、わっせわっせと踏みつけていき、しばし時間をおくと平坦な設営地ができあがる。
それから、雪から水をつくるための「雪塊」を適当な大きさにして、ビニール袋へと入れる。
テントは、4~5人用、2~3人用のエスパースゴアテックステントを2張、設営した。
 冬山で水をつくらないことはガソリン消費量や時間的にもとても楽ちんなため、K氏がスコップを片手に小沢へ降りてせっせと掘り出してみるものの期待はずれだったようだ。
 いつかの斜里岳北尾根以来だという、みなで記念写真なんぞを撮影することにした。

 

テントに入るゾー!
と、テントに入る際には、これから入る者がテント中にいる者へと声を掛ける。
それでないと狭いテントの中では順序よく居住できなくなる。
(テントの中の世界にも「上座」というものがある)
テントに入る際には、二重の冬用プラスティックブーツを外し、インナーブーツのみになり、そしてタワシで足裏についている雪をゴシゴシと落としてから、入り口をくぐるようにして、ゆっくりとテントに入る。
テントの中に少しでも雪を侵入させると、融けてベチョベチョになるからだ・・・
脱いだ外靴はビニル袋へと入れておく。
吹雪きでスキーやストック、ピッケルなどが倒れ埋もれないよう、燃料であるガソリンの置き位置など再度周囲の確認をする。


ビールで乾杯!-13:37
ギンギンに冷え切った琥珀色の液体は、水分を欲している体と喉にグッとくる。
ビールは全部で500ml3本、350ml2本と、少しさみしいが、みなのザックから、日本酒、焼酎、ウイスキーと次から次とでてくると、みな幸せな気分になる。
これからの時間は長いのである・・・。
しかし、これだけあっても足りない事態が3時間後訪れる・・・
豚の角煮、ちくわ、ホタテの薫製、昆布巻きなど「つまみ」もたくさんでてくる。
恒例の伊達巻き、いただいた天ぷら、シカの刺身を忘れてきたと、会長とK氏が悔しがっている。
歓談は、今は山を離れている会員たちのことや亡くなった会員、過去やこれからの山行談など無限に続いていく。
これが我が山岳会の好きなところでもある。


水をつくる
テントの外に置いて用意してあるビニール袋に入った雪塊を、ひとつずつコッフェル(鍋)の中へ入れて、呼び水を注ぎ、ストーブで加熱し、じっくりと水をつくっていく。

米を炊く
研ぎ済みの米3.5合を別のコッフェルへと入れて、水を注ぎ、炊き始める。
今夜は、五目飯!
炊きあがる前に、ガソリンストーブから、火力の弱いガスストーブへ乗せかえ、そして最後は新聞紙にくるんで逆さまにし、しばし蒸らす。

天気図をひく
16:00からNHK第2放送で始まる気象通報を聴き、天気図をひく。
しかし、電波の入りが悪く難儀する。
それ以上に盛り上がっている酒宴の声と、お互いにシッーと言っては元の喧噪に戻る中、完成させる。
次の低気圧が秋田沖の日本海にあり、北海道東方へ抜けそうである。
ちょっと天気の経過が気になる。冬型の気圧配置になりそうだ。
いずれにしても、正月の知床の山で1日でも快晴に恵まれるということは奇跡に近い。
今日一日、一度オンネが望められたことはホントウにそれだけで満足でもあった。

酒宴とキス
リーダーとぼくは食事後早々と2~3人用テントへ移動した。
隣のテントでは、山への熱き想いと、酒が足りないと騒ぐ怒声を、静寂な知床の冬の森に響かせている。
アマチュア無線で誰かと交信したいと要望あるも、こちらでチャンネル確認やメインチャンネルで応答を呼びかけるも誰もキャッチしてくれない・・・。
しまいには、明後日まで行動するリーダーとぼくのために持ってきたバーボンまで取り上げられてしまう。
代わりに小さなウィスキーを隣のテントからもらった。
唄まで飛び出してきた。合唱している。
良い声だなあ、と思ったが、今にも二次会にでも行きそうな雰囲気である。
ここは山の中なのである・・・

 「うわっ、やめろ!」という声がでた。
なんでも、酔っぱらって誰かさんが会長にキスをしたらしい・・・
 18:30、酒宴はお酒がなくなったことで終了、就寝と相成ってゆく。
風もなく、月夜に照らされた夜は更けていった。
 ぼくは、寝袋の中で横になりながら、みなのイビキの大合唱の中、こんなことを考えていた。
「ジンジンと寒いテント生地一枚の中、雪上に寝ている自分の体(命・時間)の不思議さ・・・」
「会長の想い、諸先輩たちのお人柄や個性、ここまで会が続いてきたことの重さとは何なのだろう」、と。
そして、未だ最年少のぼくは「今の自分は一体何ができるのだろう・・・」と。


おい4時だ、起床時間だ!-と、会長の声
まだ2:00である。みなはまだ当然寝ている。ぼくも隣のテントで寝たフリを決める。

 朝4時半、のそのそとみなで4~5人用テントに再び6人が揃い、暖をとりながら朝食準備をする。
リーダーのつくる「お雑煮」は、いつもながら絶品である。そして手際よい。
リーダーはホントウにマメで計画書の出来から装備の工夫まで熱心で、穏やかな人である。
何でも山が好きだったのではなく、スキーをしたいからと山を始めた特異な経歴を持っているらしい。
 
 N氏は、熱がでてきたためテントキーパーとしてBCに残ることになった。
N氏は古いフレーム式のザックなど往年の装備で、いつもにこやかにしてくれている。
初めて一緒の山行をした冬季斜里岳の際に、とても感心させていただいた記憶がある。
そして、いつも海の幸をごちそうしてくれるのだ。

 S氏は、最初から今日はここから下山することに決めていたらしい。
S氏は、ぼくに「これが利くんだ」と黄色い錠剤・アリナミンを手にとってくれた。
「普通のヤツより上のヤツだからな。肉体疲労時の乳酸を和らげるんだ」と言ってくれた。
S氏は過去の斜里岳、知床山系の地理に詳しく、その踏査記録もスゴイ人である。
またどこでも寝られる愛車で、週末はきちんと必ず何らかの多趣味な行動をしている。
口数は少ないけれど、とても面倒見の良い人だとぼくは思う。


 ガスカートリッジの取り扱いに自分の不注意から瞬間「炎上」させてしまい、火傷・・・
両手指7本に傷を負ってしまった・・・(集中力の欠如としか言いようがない)



 4人で出発-6:30
会長、熱気味のK氏、リーダー、ぼくの4人でヘッドランプをつけて出発する。
会長とK氏は今日下山するため偵察のみ行い、BC組2人と一緒に下山するとのこと。

 そんなに朝の冷え込みはなかった。携帯温度計で-7度。
外に立てて置いてあったスキーなどもシバれていない。
大きな月がエゾマツ林の上にポッカリと西の空に浮かんでいる。
今日も快晴無風状態である。

 会長は、リーダーとぼくに「今日はピークまで行けるゾ!」と励ますように言ってくれた。
そしてぐんぐんとトップをきって向かっていった。
会長が一番このオンネへの想いが強い。
冷静に考えると怖いときがあるくらい執着しているような気がする。
それでもその気迫は、常に今は山を離れてる会員の方たちを想ってのことなのかも知れない。
きっと今まで会に交流ある往年の人たちはみな会長の心の中で生きているのだろう。
温かい人である。


 BC上の緩斜面の広い樹林帯の中を進んでいく。
 

K氏のことで一番印象に残っているのは冬季利尻岳や冬季芦別岳よりも、風邪で参加できないと言っていた過去の正月山行時に、当時札幌から車で夜に走ってきて、ゲートからそのままぼくたちのBC(知床峠)まで夜のうちに3時間かけて登ってきたことである。

(そのときもガショー!ガショー!と元気が良かった)
毎年の正月山行(網走)へ来ることを「自分にとってのメッカの巡礼」だと比喩している。

スゴイ人である。

 669m岩峰の右斜面をトラバース(横断)するようにスキーを進めていくと、だんだんと陽が昇ってきて、右に知西別岳、そしてめざすオンネが遠く望まれた。
 陽に照らされ、暗いオンネ東壁が上から順にピンク色に染まっていくモルゲンロート(朝焼け)を、絶好な地点で撮影できずに残念。
 地図上の500~570mのコンタ(等高線)を辿っていく。

K氏が力強く進む

 

光と風は美しい雪面をつくる芸術家である。

ぼくは、その朝の火傷から手指に力を入れられず、最後尾を離れてトボトボと情けなく歩いていた。
スキー(シール)の調子も悪く、スキーアイゼンを装着して、ごまかしながら3人についていっていた。


 さらば-9:00
 地図上のP705m上部の標高600mのコル(尾根や稜線の鞍部)地点は、広く明るい樹林帯だったが、
ここは風の通り道だった。
 蒼い空と白い雪原の中、エゾフクロウが羽音もなく、左目から右目の視界へと横切っていった。
ここで、会長とK氏は引き返すこととした。BC組と一緒に今日下山するのだ。
 目論んでいたこの地点は、今後のオンネ山行のBCには不適切という状況が確認できた。
 ここからリーダーとぼくは2人、快晴の中をオンネのピークをめざし始めた。

 

いずれにしても、ここまでも雪質は最高の条件である。
あの暴風雪がやはりこの山肌すべてを風雪でなめるように襲った結果が、雪量を多くし、雪質を固くしてくれたようだった。例年の正月にはない状況である。
きっとオンネがぼくたちを迎え入れてくれるための、ちょっとした大袈裟なお化粧だったのだろうか。


 ぼくたち2人は地図上のP746mを向かって左側から巻くように登っていった。
9:45には、そのP746mを越えたダケカンバとハイマツが雪の中に埋もれた700mのコルに飛び出た。
相変わらずスキーの調子が悪く、早くツボ足(登山靴による登行)ができる雪面にならないものか、と思いながら、またここまでの余計なスキー修理や手指の火傷による痛みで気力は消沈していた。

 

第一目標に切り替えた稜線には雪煙がたなびく

そのコルで、気持ちの何かを探すように、しばらく2人には沈黙の時間が流れた。
高みにくるにつれて、やはり強風となってはいた。
めざすオンネの姿はここからは手前の急斜面の稜線が邪魔をしていて確認できない。
そんな気持ちの静寂を破るようにリーダーはスパッとぼくに言った。
「行くゾ!あの稜線を第一目標としよう!」
ぼくは自分のスキー(シール)が不調でまともに行動できず、下山時の行動とかかる時間が心配だった。 
 しかし、会長たちと別れ、ピークをめざしているぼくたちには時間的にも余裕もあり、天候にも恵まれており、引き返す大きな理由など考えても何一つないはずなのだ。
せめて、東壁全貌の写真くらいはきちんと撮っておきたいというのは、当然のことだった。

きっと軟弱なぼくは見透かされていたに違いない。


 
 

 そこからは不安定に雪をかぶったハイマツ帯を越えて、そして固い雪面の急斜面がぼくたちを苦しめた。
左側には奥遠音別岳、大きな海別岳、そして端正なラサウヌプリの絶景が広がっていた。

スキーをデポ(残置)し、登山靴でなんとかゼイゼイ言いながら急斜面を越えたところで、オンネはより近く、そして勇ましい男性の顔のような表情を持って、ぼくたちを再び迎えてくれた。
 時計は11:00、標高にして960mのあたりである。
 ここからはピークまでのルート、東壁の全貌、知西別岳までの主稜線すべてが望まれた。
ピークまでのルートは、はっきりと目視で確認できた。
 風はややあるものの行動に支障はない程度で北西から吹きぬけていた。
頂上付近は雲を湧かせ、そしてその形をぐんぐん変えながらの強風のようだった。
雪煙がたなびいていた。

風の当たらない斜面に座り、大福餅を一つ食べてみた。
テルモスに入れてきたミルクティーをのんで、ようやくホッとした落ち着いた心地になった。
振り返ると国後島・爺々岳、根室半島の方まで一望できた。
野付湾がまぶしく反射して輝いていた。
 
そのときの2人の体力を勘案し、ここから頂上まで2~3時間かかると判断し、ここで行動中止

 

その後ぼくたち2人は、BCへと慎重に下山を開始した。

(リーダー撮影)

ぼくは意を決して不調なシールを外し、滑走面を出して滑り降り、トラバ-スや小沢ではスキーを脱いで雪をこぎ難儀をしながらも、だましだまし、来た道を、ただただひたすらBCをめざして降りていった。


 ときどき振り返ると、オンネはまだ快晴の中、午後の斜陽を浴びながら穏やかに笑っていた。

 

BC到着、13:30。
テントは、2~3人用のテント一張りだけがボツネンと午後の斜陽の陰になった中に佇んで主を待っていた。

 ぼくたち2人は、テント内に入り、お湯を沸かしながら、しばらく放心していた。
出来上がったお湯でリーダーはコーヒーを作り、ウィスキーをチョロっと入れた。
ぼくたちのために下山組が残していってくれた小さなウィスキーが、まさか水で薄まっていようとは思いもよらずに・・・(気のせいですよね?違いますよね?)

 そしてぼくたち2人は満天の素晴らしい星空の下、前日よりもかなり冷え込む中で一夜を過ごした。
脇腹から両手で包まれるような冷魔が、呼吸をするたびにシュラフにもぐるぼくたちを襲う一夜だった。
一度だけ、遠くから風の集団がやってきて2人のテントを叩いていった。


翌日、1月3日も晴れだった。
前夜用意したお米での朝食は摂らずに、2人はコーヒーや行動食などで朝食を軽く済ませた。
早朝のラジオからは、「老いて、たおやかに豊かに時間を過ごす」というようなことを静かに語っていた。

 ぼくたち2人はBCをゆっくり撤収し、春の陽気のような中をてくてくとスキーで下山した。

 またエゾシカたちが現れては通過し、アカゲラがキョッキョッと幹をつたっていた。



 ・・・冬季知床の正月山行、3日間も晴れたのは、我が会にとって過去に例がないという・・・。

 

遠音別岳東壁核心部の姿(3月撮影)

オンネは願いどおり ホントウに笑ってくれたのだなあ・・・ありがとう
  
  
 だけれど、オンネの笑顔がぼくの心に残してくれたものは・・・

 もう若くはないのだ。
惰性で冬山を続けていられる年齢と体力ではないのだ・・・丁寧に、自分を改革していかねばならない・・・

 2002年新春に、そう痛感した・・・オンネがそう教えてくれた。


笑ってよ オンネ 完