蒲生八幡神社

北九州市小倉南区、県道63号線・蒲生八幡宮信号角に鎮座しています。
今の一の鳥居はそこから約600m程東の国道332号線に立っているのがこの社のすべての社域の広さを物語っているかも知れません。
 蒲生八幡宮信号角の旧道には桜の木の中に二の鳥居が立ち、社頭には狛犬と共に朱の台輪鳥居が建立されています。
坂道の参道を上がると神門があり、参道は右に曲がり石段が境内へと続いています。
 境内には「縣社蒲生八幡神社」と書かれた社号標が立ち、正面には唐破風付きの屋根を持つ横に広い大きな拝殿が立っています。
その後ろに建立されている幣殿は北九州市で最古、本殿は旧豊前国で最古の社殿だそうです。また、境内左右には幸神社、稲荷社等の境内社や碑が祀られています。

 蒲生の地名は「がもう」、八幡宮としては「かもう」と呼ぶようです。


Location

参拝通年可能

駐車場:あり

公共交通:バス

バス停 蒲生病院前より徒歩5分

モノレール

徳力公団前駅出口2出口から徒歩40分       

守恒駅出口2出口から徒歩約30分       

徳力嵐山口駅出口1出口から徒歩約45分

 


 

国道332号には、大きな看板がありますので、わかりやすいです。

 

居酒屋「十徳や」の横に一の鳥居があります。
ここはモノレールの下でもあります。

 

昭和59年に移設との石碑があります。
記念碑あり。

 

西へ向かい、紫川にかかる橋を渡ります。

 

神社遠景。

63号線は拡張工事が進んでいます。

同じく神社遠景 サクラ開花の頃

 

旧道に立つ二の鳥居。

 

神社参道入口に立つ三の台輪鳥居と神門。

 

境内へと続く石段の参道。

 

唐破風付きの屋根を持つ横に広い大きな拝殿。

 

厄除けの神様として有名。

 

現在の守恒、山手へ上がるイオン跡地前にも看板があります。
この企救ヶ丘一帯を護る神社であったのかも知れません。

御祭神と由緒

御祭神:応神天皇、神功皇后、宗像三女神、大山祇命、細川幽斎、細川忠興

 祭礼日:不明

 境内社:幸神社、綿津見神社、規矩稲荷社、猿田彦大神

 由緒
往昔、蒲生村虹山(巣山)の峯に多紀理比売命・多岐都比売命・市寸島比売命の三神が天降り、「我、永く此地を守らん」と告げる。
そこで、里人は紫の池の辺に多紀理比売命を祀り、虹山の山頂に多岐都比売命を祀り(蒲生宮)、紫の池の北に市寸島比売命を祀った。
後に、蒲生宮に応神天皇・神功皇后を祀り、蒲生八幡宮とした。
 元暦元年甲辰年に壇ノ浦の合戦で平氏が敗戦。

安徳帝は入水し、三種の神器も海中に沈む。
源頼朝はこのことに嘆き、規矩郡(企救郡)高浜浦の漁人の長、岩松与三に神器を探し出すよう命じた。
岩松は蒲生八幡宮に神器発見・安全を祈願したのち海に入り、鏡と勾玉を網に得ることができ、源頼朝に献上。岩松はこの功績により、規矩一郡を与えられるが、蒲生の神々の御神徳によるものとし、一郡すべてを神社に寄進した。
 元弘・正慶・建武年間、虹山城主・規矩氏に崇敬を受け、多くの神領を与えられる。
応永年間には、規矩親忠が神殿を建立。
大永2年4月に小倉城主・小野田種尚より、規矩郡大野庄平田二反を与えられる。
 天正のはじめに、大友宗麟の兵火に罹り、神社焼失。このことを憂いた、岩松弥兵衛(三郎兵衛)は高浜(現在の井筒屋付近)に神社を造立し、社号を規矩(企救)八幡宮(高浜八幡宮)とした。
小倉城主・高橋鑑種が社殿造営し、鳥居を建立する。
天正年間、小倉城主・毛利成儀(勝信)からも篤い崇敬を受ける。
慶長7 年、小倉城築城に伴い、細川忠興は神社が鎮座する高浜を東曲輪とするために規矩八幡宮をもとの蒲生の地(中島山)に遷し、社号を再び蒲生八幡宮とした。
寛永9 年に入国した小笠原藩からも篤い崇敬を受け、社殿造営等がなされた。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)