長崎の鐘

核兵器のない平和な世の中は誰しもが願っていることでしょう。
1945年の8月9日の午前11時02分に長崎県長崎市に人類史上2番目の原子爆弾が投下されました。この原子爆弾は第一目標の小倉市から長崎市へ変更され投下されたと云われています。

変更された理由は主に視界不良であった(天候、前日の空襲の煙、八幡製鐵所でコールタールを燃やした煙幕など)と云われています。

後にこの事実が明らかになり、北九州市には、長崎市から贈られた「長崎の鐘」の複製があります。また、被爆者の霊を慰め、平和を祈るために碑が建立されました。碑は却火の中で手をとりあっている母と子供をかたちどったものです。

 


基本情報

 

毎年8月9日に慰霊祭が行われています。

 

 


Impressions

平和祈念碑

碑文

この地に旧陸軍造兵廠があった これを爆撃するため 

原爆を積んだ爆撃機が飛来したが 雲のため目標を見いだせず 

一転して長崎に原爆を投下した その事実をかえりみ 

北九州市民は いたましい被爆の霊をなぐさめ 

平和への切実な願いをこめて この碑を建立する

昭和四十八年八月九日

平和祈念碑 劫火の中で手を取り合う母子像

説明文

昭和20年8月9日は、長崎市に原爆の投下された日です。

当初、この新型爆弾は、旧小倉造兵廠があったこの地に投下される予定でした。

ところが、当日の小倉上空は、

視界がきかず、第二目標の長崎市に投下されたのです。

戦後、この事実が明らかにされ、

北九州市では、被爆者の霊を慰め、平和への切実な願いをこめて、

平和祈念碑を建立しました。

碑は、劫火の中で手を取り合う母子像を形どったものです。

またこの碑と並んで長崎の鐘がありますが、

これは長崎市から贈られたものの複製です。

毎年、8月9日の長崎原爆の日には、北九州市民による慰霊祭が行われます。

北九州市